広告代理店の現場からみた読書案内

広告・マーケティング関連の書籍を、広告業務の一線で働いている立場から紹介・書評します。

タグ:広告会社

 前回のエントリ(「2010年の広告会社」の書評)でも広告会社の将来について書きました。今回紹介する本も、前回に引き続いて、広告会社の将来像について書いた本です。

 この本ももう随分話題になったので、今更書評を書くのも気が引けるのですが、広告会社の過去・現在・将来を考える上では、きっと避けては通れない本だと思いますので、ご紹介します。
 著者の藤原氏は元電通総研社長。つまり日本最大の広告会社の中心にいた人による広告会社論が本書ということになります。

 しかしこの本、Amazonなどの評判がまったく良くありません。曰く、「自己中心的」「広告会社のレベルの低さ、広告会社が変われないことを象徴している」「提示される将来像が不鮮明」「Googleを始めとした環境変化への理解が足りない」など。実際そうした批判はその通りだと思いますし、独善的・夢想的な主張も目立ち思考の限界を感じてしまいます。
 特に、著者が電通の幹部だったことから「電通的なものの考え方」が良くも悪くも随所にでているのではないかと思いました。つまり、日本の広告業界を背負ってきたという自負とエリート意識、反面の自分のビジネススタイルに対する無謬性意識と傲慢さ、自分を超える存在を認められないという偏狭性などです。「広告会社は変われるか」というテーマも、結局は「電通は変われるか」を論じているように思います。
 つまりこれは電通の内在的論理に基づいて書かれているもの(一種の「社内論文」でしょうか)なのであり、その辺りに、社外の人が見ると感じる違和感不快感の原因があるような気がします。

 ただしそう割り切って読むと、これは現状の「(電通を中心とした日本の)広告会社」とはこんなもの、ということを理解する格好のテキストなのだとも思います。何しろ、日本の伝統的大手代理店は基本的には電通と同じビジネスモデルで仕事をしているわけですから。

 さてこの本の内容ですが、大きく「広告会社の過去の発展の歴史や現状の問題点」を書いた部分、そして「将来のメディア環境変化(特に2011年からの地上波デジタル放送完全実施以降)に対応したあるべき将来像」を書いている部分に分かれます。

 この中で、広告ビジネスの歴史と今後の課題について書いている部分は、さすが電通の元幹部だけあって、とても読んで参考になると思います。
 その通りだと思った部分何カ所かあるのですが、例えば広告主が変貌するというテーマで広告主と広告会社との関係を論じている部分の指摘。近年の傾向ですが、従来広告会社との主要取引窓口であり、広告会社に仕事をくれる存在だった「宣伝部」の地位が凋落傾向にあります。それに対して著者は、新た関係先部署として3者(経営企画室・資材部・プロダクトマネージャー)を指摘し、彼らとの関係をうまく取り結べないと「『おぜぜ』の取りっぱぐれが起こる」(p63)と指摘しています。
 クライアントが変化していく中で、広告会社との関係も多様化しつつあるのは現実で、非常に実感に合う問題意識です。

 しかしそれにしても「あるべき将来像」についての語りの緩さはどうしてでしょう? 著者の言うように、今後IT化、デジタル化が進展し、テレビ、パソコン、携帯電話など「メディアの種類」に依存しない形で各種コンテンツが流通するようになる、という認識は間違っていないのかも知れません。しかしだからといって、

 「ネットとメディアが融合すると、媒体は一つになる。今までのマス媒体もネットも融合するので一つの媒体の出現と相成るのである。その融合の結果生じる新しい媒体を何と呼ぶか。筆者はそれを『eプラットフォーム』と呼ぶ。」(p50)*下線部私

という将来予想は妥当でしょうか? コンテンツが自由に流通する姿は想像できますが、また新たな「一つの媒体」ができる、という発想は想像しにくいです。媒体を売ってきた電通の元幹部らしい、「結局は新しい媒体が登場しないと、何か不安だ!(笑)」という気持ちがあるのならばそれはわからないでもないですが...(苦笑)。

 もっとも、この本の結論の方で、電通・博報堂などが目指すべき方向性として、新しいメディア「eプラットフォーム」の「盟主になれるか(p160)」が重要なのだが、「このeプラットフォームの盟主になる広告会社は、結果的にグローバル化をせず、いままでどおり国内に専業する(p160)」とあります。

 「盟主」という言葉遣いからして、旧来の電通的価値観のような気がしますが、国際競争の荒波にもまれるのはもうイヤだから、日本の中で生きて行けばいいや、という発想は、しかしながら伝統的広告会社にとっては、もはや意外と現実的な解決方法なのかもしれません。

 ところで、先日の日経ビジネス5月14日号では、「電通が挑むメディア総力戦」というタイトルの中で、上記の「eプラットフォーム」に似たようなシステムをGoogleに対抗すべく整備中というような記事がありました。

 ただその記事で書かれているのは、放送と通信との融合時代における新たなメディアなどではなくて、単なるアドネットワーク(アドサーバー)の一種のようです。

 この本でも「広告会社の最終兵器はアド・サーバー(p167)」なんて書いてあるし、もしかして、電通が来るメディアの大統合時代に向けて整備を進めているのはコレなのでしょうか?? 

 アドサーバーの価値を否定するわけではないですが(もし将来、テレビCMも行動ターゲッティング的な配信ができるというなら、またそれを狙っているならば凄い話ではありますが...)、こうしたものを整備する方向が、筆者の考える「広告会社は変われるか」の結論だとすると、ちょっと最後に問題が矮小化されてしまった感じがします。そもそもアドサーバー(アドネットワーク)なんて既に数多く存在しているわけですし、大手のDoubleClickをGoogleが買収するなんていうニュースもあるような中で「盟主」となるなんてことは簡単に口にできることではありませし、それを達成するその道筋さえも書いてはありません。

 将来の広告会社への提案として、システム周りの話をするのもいいですが、クリエイティブの可能性など、もっとGoogleなどにない広告会社固有の能力についてスポットライトを当てるような方向も考察して欲しかったです。
スペースブローカーとして広告会社を捉える電通的な論理が結局最後まで顔を出している本、ということなのかも知れません。

☆藤原治「広告会社は変われるか」(2007年)ダイヤモンド社

広告会社は変われるか―マスメディア依存体質からの脱却シナリオ

 「このままだと広告ビジネスと広告会社は、早く変わらないと破滅することになる。」(P3)

 この本の書き出しは、この言葉から始まっています。現役で広告会社に籍を置く人ならば、こういわれて何も心当たりがないという人は、多分いないでしょう。

 現在でもなお、大手広告会社は学生の人気就職先の一つであります。多分外側からみれば華やかな仕事に見えているのかもしれません。しかしながら内実を知ってしまうと、その将来性について明るい展望は決して抱けない、というのは事実だと思います。

 理由はいくつもあります。

 広告市場の成熟化・頭打ち傾向、厳しさを増す広告主によるディスカウント要求、非マスメディア領域の注目に伴う煩雑な業務の増加、慢性的な忙しさ、増えない利益、増えない給与、経費の締め付け傾向、成功しない海外展開、買収のうわさ、Googleなど新たなプレーヤーの登場の一方で取り残されている感じ...etc。

 この本は、こうした現状の広告会社・広告ビジネスが持つ限界性を指摘し、「変われ、さもなくば生き残れない!」と叱咤激励するものになっています。

 著者の述べるさまざまな問題点の指摘、確かに鋭いと感じるところがいくつもあります。例えば、以下のような指摘。

 「10年後、広告会社の80%が消滅する」(p14)
 「衰退期に入った広告のライフサイクル」(p18)


 広告会社の80%が消滅するというのは現実問題として大げさかもしれませんが、業態が大変革し、M&Aなども含めて今と同じ会社がそのまま継続して残っているケースは少ないだろうという見方には賛成です。その理由は「衰退期に入った広告のライフサイクル」とありますが、従来の広告会社の収益モデルが限界を迎えている、つまり会社経営の根っこのところが弱くなってきている、という点が最も大きいと思います。

 従来の広告会社の経営を支えてきた収益モデルとは「コミッション型モデル」であり、それはマス広告の仲介に伴う高額の手数料(メディアコミッション)を収入の柱とするモデルです。広告会社(広告の仲介会社なのでまさに「代理店」)はそれにより高い給与と社会的ステータスを得、またクライアントに対しては、マーケティング戦略その他のフルサービスを無料で提供してきたわけです。
 しかしながら、日本のデフレ経済をきっかけに、クライアントが手数料の引き下げ要求を出したり、マスメディア扱いを1つの代理店に集中させることで手数料の引き下げを迫ったりし始めました。それだけではありません。インターネット広告の出現などにより、マス広告の効果の相対的低下が指摘され、出稿自体も減ってきてしまったのです。

 つまり、マス広告に依存していたにも関わらず、マス広告出稿減、手数料も減、一方で提供サービスは変化なし。いや、マス広告以外の領域の業務が増えている分、提供サービスは増加しているかもしれません。
 ちなみに、それではインターネット広告や非マスメディア領域に注力すればいいではないか? という人がいるかも知れません。しかし、そうした分野は成長分野ではありますが収益性がまだまだ低く、既に高年齢者を含む多大な人員を抱えてしまっている広告会社にとっては、そのマス広告の減少・手数料低下を補えるものではないのです。(中には、ご高齢で高給取りの方をすべて辞めさせれば問題解決、という過激なことを言う人いますが...)
 
 こうした問題点に対して、コミッションではなくて、実際に提供したサービスに対する対価(フィー)に依存する経営に転換するべきだ、という意見がしばらく前からあります。実際には欧米では広告会社のフィービジネスが一般化しています。しかしながら商習慣の異なる日本では、広告主にとって目に見えないサービスに対価を払うことに抵抗があるのか、一向に定着しません。
 もっとも、一方でフィーが本当に望ましい結論かどうかということについて、疑問を言う人もいます。

 植田氏は、本書で多岐に渡る広告会社が変わるぺきポイント(イノベーション)を提示し、最後に「いま広告会社に残されている最後の行動は、社長の決断だけである。イノベーションを断行するかどうかだ。」(p248)と指摘しています。

 広告会社は、いろいろな面で変わる必要があるのは間違いないでしょう。ただ、変革すべきポイントが多すぎて、目眩がしそうになるのもまた事実です。

 正直私は、将来を信じながらも、今の広告業界・広告ビジネスについて、多少暗い気持ちを感じざるを得ません。

 このテーマはまた取り上げますが、いずれにせよ、この本は現状の問題点が網羅されていて、参考になる一冊だと思います。

☆植田正也「2010年の広告会社」(2006年)日新報道

2010年の広告会社―革新のみが成功を約束する

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