広告代理店の現場からみた読書案内

広告・マーケティング関連の書籍を、広告業務の一線で働いている立場から紹介・書評します。

カテゴリ: 広告・広告論

 この本は「ITマーケティングのバイブル」とも言われている有名な本ですね。「バイブル」と言われるだけにもともとは古い本で、原著「Crossing the Chasm」(キャズムを超えて)の初版は1991年。取り上げられている事例などをアップデートして1999年に新刊本が出版され、それが日本語版になっているようです。それにしても「IT製品のマーケティング」がテーマの本なのに、まだインターネットなんて誰も知らなかった頃に出版された本が、15年以上経った今でも読み続けられているというのは大変なことだと思いませんか? ある意味奇跡です。
 それほど、内容の説得力と有用性が認められてきたからでしょう。

 私自身がこの本に出会ったのも実は多少古くて、ちょうど日本語版が発刊された頃、あるISP(Internet Service Provider)のADSLサービスについてのマーケティング業務をしていた時でした。たまたま同僚が持っているのを手にしてパラパラとめくったら、その時やっていた仕事にそのまま当てはめられるような部分を見つけたものですから、「これは使える!」と思って、そこを取り入れた企画書を作りプレゼンテーションしたものでした。その後本屋で自分のものを購入しましたが、何となくずっと机の隅っこに置きっぱなしにしていました。最近ふと最後まで読み通そうと思って、今回読み直してみた、というものです。

 当時企画書に使った話も含めて、この本の主張を簡単にトレースしてみたいと思います。

1.テクノロジー・ライフサイクルとキャズム
 最初に、「テクノロジー・ライフサイクル」という概念を紹介しています。

 「このモデルは、新たなテクノロジーに基づく製品が市場に受け入れられていくプロセスを、製品ライフサイクルの進行にともなって顧客層がどのように変遷するかという観点からとらえたものである。」(p14)

 つまり、新製品の普及が異なった顧客層に順々に受け入れられて進んでいくというモデルです。最初がイノベーター、次にアーリー・アドプター、そしてアーリー・マジョリティレイト・マジョリティ、最後がラガードの順に進むというものです。各々の顧客層の構成比は正規分布の平均値からの標準偏差の大きさで区分された面積の大きさとされています。
 それぞれの顧客層には特徴があって、イノベーターは新しいものなら何でも取り入れるハイテクオタク。アーリー・アドプターは新技術を評価し自らに有用だと判断すれば、他人の評価を気にせず取り入れる人。アーリー・マジョリティは有用だという評価が定まったら取り入れる人。レイト・マジョリティはより大衆的になり価格も手頃になったらったら取り入れる人。ラガードは最後まで取り入れない人、などと説明されます。

 聞いたことありますか? (結構使える概念なので、知らなかった人はこの本でここだけでも勉強してみてください。詳しく説明してあるブログも見つけました。)

 さてこのテクノロジーライフサイクルモデルで、ある顧客層から次の顧客層への移行は、異なった購入動機を持つ顧客層への移行であり不連続なもので、マーケティング戦略の変更を必要とするとされます。特に、アーリー・アドプターからアーリー・マジョリティへ移行する間には、大きな溝(キャズム)が存在しており、ここを乗り切れるか乗り切れないかということが、製品がメジャーになるのかならないのかの分かれ目だ、というのが本書のタイトルの由来でもあり、この本の独自な部分です。
 技術的に新しいものゆえ最初はそこそこ引き合いがあったものの、キャズムを超えられない(メジャーになりきれないで)で失速するIT製品が非常に多いという問題点を筆者は指摘し、その対応策をこの本ではいろいろ主張しています。

2.キャズムを超えてメジャーになるために
 では、キャズムを超えるためにはどうすればいいのでしょうか? これが本書の2つ目のテーマであり、本書の中心テーマです。
 例えば、

 「まずニッチ市場から攻めるというアプローチをとらないでキャズムを超えようとするのは、たきつけを使わないで火をつけるようなものだ。」(p104)

 「新市場に入っていくときには、自社製品が顧客の口コミで評判となることが必須だ。ハイテク製品を購入するときには、口コミによる情報がもっとも信頼されているという調査結果が多数報告されてもいる。(中略)口コミ効果がないと、製品を売り込むのに苦労することになり、その結果、販売コストは上がり、売上げは不安定になる。」(p107-108)

 「早くマーケット・リーダーになりたいのであれば――もちろんなりたいに決まっている――唯一の戦略は『小さな池で大きな魚になる』というアプローチである。(中略)セグメント、セグメント、セグメント。このアプローチの良いところは、『マーケットの支配』を目標にしているところだ。」(p110)


 いくつか本文から引用しましたが、つまりニッチなマーケットでリーダーとなり口コミ評判を起こして、それを梃子にしてより大きなマーケットに打って出る、というシナリオのようです。

 筆者は他にも、製品の特性などの点でいろいろな提案をしていますが、ここで引用したアプローチだけをとっても、考えてみれば決してIT製品だけに限られたもの、というわけではなさそうですよね。一部で人気だった商品がある日突然ブレークしてメジャー化すること――しばしば“ブーム”と呼ばれます――は、われわれ日常でよく目にすることですが、そのメカニズムと似ているような気がします。
 その意味ではIT製品のマーケティングに限らず、広く商品をヒットさせたいと思う人が読んで参考になる本といえるのではないでしょうか。

 もっとも、IT製品の事例とか用語とか難しくって、本の後半は私はかなり読むのがしんどかったですが。。。

☆ジェフリー・ムーア著、川又政治訳『キャズム』(2002年)翔泳社

キャズム

 この本、広告を扱った本ですが、これまで紹介してきたものとはちょっと毛色が違います。広告に登場する金融商品がテーマであり、広告での誘い水とは裏腹なその悪徳ぶりを半ば告発している本です。普段から銀行や証券会社に対して、にがにがしく思っている人や痛い思いをしたことがある人には、溜飲が下がる本かも知れません。

 「はじめに」にこんなことが書いてあります。

 「日本で営業している(外資系を含めた)銀行・証券会社・保険会社の大半は、『とりあえず、騙せる客は、できるだけ騙してぼったくる』ことを、経営の基本としています。そのことを正しく認識すべきです。」(p7)
 「筆者は、銀行や証券会社や保険会社などの金融機関は、歓楽街にある“風俗産業”と同じような商売のやり方をしていると思っておけば、おおむね正しいイメージで付き合うことができる、と考えています。」(p7)


 冒頭から過激な本です。しかし続いて、

 「聖人君主ならぬふつうの人間にとって、カネと異性に対する欲望は、判断力を狂わせる魔力をもちます。そのため、銀行や証券会社や保険会社も、風俗店も、『欲望が判断を狂わせる』という点をうまくついて商売を行えば、ビジネスに成功することができます。とりわけ大切なのは、お客になりそうは人に対して、『同じような店(あるいは金融機関)はいろいろありますけど、うちが一番いいですよ』ということをいかにアピールするか、つまり“宣伝”です」(p8)

 なるほど。そういうことであれば、言い得て妙です。

 「預金や投資信託などの金融商品の広告を見ていると、顧客の欲望(楽してカネを増やしたいというスケベ心)を刺激するためのテクニックは、なかなか巧妙になってきたように感じられます。(中略)本書は、金融機関による金融商品広告を取り上げ、その読み方を解説するものです。(中略)金融広告商品のウソをみつける能力がよりいっそう身につくでしょう。」(p10-13)

 筆者の意図が明らかになりました。
 つまりこの本は「金融商品広告」の読み方を解説したものです。ただし、取り上げられている広告(すべてが実際に出稿されていた広告を元に作った架空の広告ですが)は悪質なものが多く、利用者に対する注意喚起とそれを出稿する(つまりその商品を売っている)金融機関への批判にもなっている、という本です。ちなみにこの本で紹介されている「金融広告」は、テレビCMでよく目にする消費者金融やローンの広告ではなく、ある程度の資産を持った人が投資運用のために銀行や証券会社から購入する、外貨預金、投資信託、年金保険などの金融商品の広告です。マネー雑誌や経済新聞などに出ている「利率○○%」「運用実績△△」などをうたった商品、といえばどんなものが想像していただけると思います。

 中身の大半を占める具体的広告表現の読み解き方については、金融の専門的な話なので関心に応じて読んでいただければいいと思うのですが、例えば外貨預金の高金利の表示が年利換算すると低かったり、為替手数料を考えると利回りが低かったりする商品の例などは、なるほどと思いますし、外国国債をベースにして高利回りをうたった投資信託が、実は同じ期間その国の国債を直接購入した方が利回りもいいし、手数料も不要でかえってお得ということになると、そういう商品を平気で広告している会社は、なんだろなぁという気にさせられてしまいます。
 全体を通じての筆者の主張を要約すると、金融広告は文字が小さくなっているところに注意が必要。デカデカと利回りの高さをうたう商品は実は、小さい注意書きの部分に書いてあることで、それほどお得なものになっていないことが多い。なお言うと、そもそも一般消費財と異なり、広告している金融商品は、顧客にとって不利なものがもともと多いので、欲につられてそういう商品は買わないほうがいい、というようなことになると思います。

 もちろん販売している金融機関は、購入者の責任で購入するわけだし購入者が儲かる場合もあるから問題はない、と主張するのでしょう。しかし、本書での筆者の主張が正確だとすると、顧客に誠実なふり(儲けさせるふり)をして実は顧客の期待を最初から裏切るつもり(最初から儲けの大部分を自分たちが取るつもり)で商品を販売する、というのは他の商品カテゴリーでは考えにくいことだし、そうした商品の広告は、広告全体の信頼性にも関わる問題です。
 昔の「株や」を彷彿とさせますね。一部だとは思いますが、今でも金融機関がこんなことをしていて、彼らの高収入がこんなことによりもたらされているのかと思うと、気が滅入ります。

 さて、あとがきにもこんなことが書いてあります。

 「広告の使い方がうまい金融機関は、エサに引っかかる客と引っかからない客を選別するための道具(学生のクラスを分けるためのテストのようなもの)として、金融広告を活用しているように思われます。(中略)ある程度は社会的な評判を気にしている金融機関であれば、はっきりとしたウソはつかないように(ただし、知られたくないことはなるべく知らせないように)気をつけながら、客の錯覚を誘う広告を作成しています。そういった広告に引っかかる客が一定以上存在し、金融機関に利益をもたらす限り、今後もぼったくり金融商品とその広告はなくならないと思われます。」(p497)

 なるほど、こういう広告の使い方は凄いですね。きっと一度“ぼったくり商品”を購入した人はリスト化されて、DMや勧誘の電話が何度も来るようになるのでしょう。いくら“ぼったくり”な商品の広告を出稿していても、世の中全般から問題の声が上がらないのは、引っかかるのが一部の人に集中しているからなのかも知れません。

 知能犯は人の欲につけ込もうとしているわけです。世にうまい話はなし、と思うべきなのでしょう。

 とはいえ、実際にこうした商品を買った人のその後が知りたいです。筆者やワタシへの疑問も含めて、実際にこうした金融商品買った経験のある人は是非コメントをお寄せください。

☆吉本佳生「金融広告を読め」(2005年)光文社(光文社新書)
金融広告を読め どれが当たりで、どれがハズレか

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