広告代理店の最大の資産は「人材」と言われます。幸いなことに学生の就職先として人気あるようで、採用試験には多くの学生がエントリーします。入社は狭き門となり、結果として有名大学卒や、語学に堪能な海外留学組などが多く入社してきます。
彼らは、厳しい競争を勝ち抜いた満足感と少しの誇りや気負い、そして将来への希望で胸を膨らませて入社して来ると思うのです。
ところが早ければ1〜2年後には、ぽろぽろ会社を辞める人が出始めます。私など、広告代理店はある意味なんでもできるところで、本人のやる気さえあれば、かなりいろいろな仕事に取り組むことができると思うのですが、広告代理店と言えども、将来に早くも限界を感じてしまう人が少なくないようなのです。こうした現象は特に最近目立っているように思います。
せっかく希望に満ちて入社してきた新人が短い期間で辞めていくことを、私自身はたいへん残念に思うのですが、同時に私などが入社した時と何か変わってきたなぁ、それは何なんだろうなぁと、「誰々が辞める」というニュースに接するたびに思っていました。
そうした中で今回紹介する本は、私にとって興味深い視点をいくつも提供してくれました。私自身の中でもやもやしていたものを言葉にしてくれたような感じがしました。
この本は「今時の新入社員」がテーマなのですが、著者の山本氏は元博報堂の方であり(以前山本氏の別の著作「マーケティング企画の技術」を紹介した時に、氏について簡単に書かせてもらいました)、内容は彼の博報堂人事部時代の体験が基になっています。まさに広告代理店の新入社員が語られているわけです。
内容をざっと紹介すると、まず新人と上司との世代間断絶から筆を起こし、新人研修での体験、例えばどんなタイプの新人がいて、彼らに対してどんな研修が必要と感じ実践したか、などから今時の「若者像」を彼らが育ってきた社会背景を分析しつつ描き出しています。そして最後に上の世代に対する提言・・・「若者は理解できないかもしれないが彼らを認めよう、そして対話をしよう」、で結ばれています。
とても鮮やかに今時の若者像が描き出されており、う〜んなるほど、と感じたところがたくさnありました。観察力・分析力の鋭さには敬服します。
中でも今の新人が会社不適応を起こす原因として挙げられていた「自分ストーカー」あるいは「借り物の夢」という言葉が非常に印象に残りました。
「今の仕事や会社に疑問を持った新人たちから、相談を受けることはよくあった。はっきり『辞めたい』という者もいるが、それ以前に漠とした不安を持ってしまった者が遥かに多い。その不安には共通点がある。『借り物の夢』が深く関係している。」(p73)
「母校の運動部のコーチをしたい。南の海で先生をしたい。大学院に行きたい。それぞれが夢を語る。だが良く聞いてみると具体的プランがないことも多い。(中略)やはり現状に対する不満や自分に対する不甲斐なさが根っこにある。だが、そこから逃げたいとは思いたくない。だからちょっとハードルの高い夢をもう一度掲げてみるのだろう。夢を持つこと自体が悪いのではない。だが、地に足のつかないままに夢を追った勢いでうっかり会社を辞めてしまうと漂流が始まることもあると思う。」(p75-76)
「危なっかしい者たちにはどこか共通点がある。高校や大学の頃の自分を追いかけているようなところがあるのだ。『あの頃が一番自分らしかったなあ』という心持ちになってシャボン玉を追っかけている。その夢に比べて、毎日会社に通う自分がどうしてもパッとしない。 いわゆる自分探しを通り越して、何というか自分が自分のストーカーになっているようなのである。追われる方も困るが、追う方だって思いは必死である。『本当のお前は違うだろ』『いやこれでいいんだから、これ以上付きまとわないでくれ』 そんな問答が一人の中でおこなわれているような感じなのである」(p76-77)
わかるような気がしますね。10年ほど前までは、人材流動化が進んでいる広告業界でさえも、会社に入ったら定年まで勤め上げるのが普通だったと思います。女性でも結婚して出産するまでは会社にいるだろうなと漠然と思っていたのではないでしょうか。しかし、今の時代それを普通だと思っている人はいないと思います。実際転職したり、自分の好きなことを始めた人の話は溢れています。今は、自分の未来を自分で自由に描くことが当然であり、奨励されているわけです。
「自分の未来を自由にスケッチしてごらん。そう言われただけで、夢は描けるものではない。とりあえず借り物の夢を描いてみるがそう簡単には叶えられない。そうなると『自分ストカー』状態になってしまう。」(p78)
かといって、誰もが夢を描き実現させられるわけではありません。現実感の乏しい「借り物の夢」ではなおさらです。しかし自分のできそうな範囲、例えば会社での仕事を頑張って夢を実現するということは、それこそ夢のない「(サラ)リーマン的生き方」であり、良くない!と思ってしまう。かくして、優秀でプライドのある新人たちは、悶々とする中で会社への不適応を起こしていく、ということでしょうか。
メカニズムはわかったとして、新人、会社の上司共にハッピーになる方策とは何なのでしょう?
氏はそこで、新人と上司とによる「対話」を提案しています。新人だって苦しんでいるわけだから、上司は自分の体験を押し付けずに、彼らの悩みを認めつつ話をしよう、というものです。
少なくともあてもなく会社を辞め、人生に漂流する新人を減らすことにはつながるでしょう。確かにこれが、出来る唯一の解のように思えます。
とはいえ、なんだか困った時代だな、とも思いますね。悩みはわかりますが、悶々とするのは学生までにして欲しいし、学生には悶々とする時代を抜け出してから広告代理店の門を叩いて欲しいと思いますね。
辞めてしまうかもしれない腰の座らない人間と一緒に仕事をするのは嫌だし、時間と労力の無駄ですから。何より一生懸命仕事を教えても、間もなくいなくなってしまうでは、やりきれません。
そうだ! 新人採用の基準を変えるのがいいかもしれません。「学生時代悶々と過ごした人」、あるいは「人生に対して腰の据わった人」というのを、優先採用基準にするというのはどうでしょう?
☆山本直人著「話せぬ若手と聞けない上司」(2005年)新潮社新潮新書
話せぬ若手と聞けない上司
彼らは、厳しい競争を勝ち抜いた満足感と少しの誇りや気負い、そして将来への希望で胸を膨らませて入社して来ると思うのです。
ところが早ければ1〜2年後には、ぽろぽろ会社を辞める人が出始めます。私など、広告代理店はある意味なんでもできるところで、本人のやる気さえあれば、かなりいろいろな仕事に取り組むことができると思うのですが、広告代理店と言えども、将来に早くも限界を感じてしまう人が少なくないようなのです。こうした現象は特に最近目立っているように思います。
せっかく希望に満ちて入社してきた新人が短い期間で辞めていくことを、私自身はたいへん残念に思うのですが、同時に私などが入社した時と何か変わってきたなぁ、それは何なんだろうなぁと、「誰々が辞める」というニュースに接するたびに思っていました。
そうした中で今回紹介する本は、私にとって興味深い視点をいくつも提供してくれました。私自身の中でもやもやしていたものを言葉にしてくれたような感じがしました。
この本は「今時の新入社員」がテーマなのですが、著者の山本氏は元博報堂の方であり(以前山本氏の別の著作「マーケティング企画の技術」を紹介した時に、氏について簡単に書かせてもらいました)、内容は彼の博報堂人事部時代の体験が基になっています。まさに広告代理店の新入社員が語られているわけです。
内容をざっと紹介すると、まず新人と上司との世代間断絶から筆を起こし、新人研修での体験、例えばどんなタイプの新人がいて、彼らに対してどんな研修が必要と感じ実践したか、などから今時の「若者像」を彼らが育ってきた社会背景を分析しつつ描き出しています。そして最後に上の世代に対する提言・・・「若者は理解できないかもしれないが彼らを認めよう、そして対話をしよう」、で結ばれています。
とても鮮やかに今時の若者像が描き出されており、う〜んなるほど、と感じたところがたくさnありました。観察力・分析力の鋭さには敬服します。
中でも今の新人が会社不適応を起こす原因として挙げられていた「自分ストーカー」あるいは「借り物の夢」という言葉が非常に印象に残りました。
「今の仕事や会社に疑問を持った新人たちから、相談を受けることはよくあった。はっきり『辞めたい』という者もいるが、それ以前に漠とした不安を持ってしまった者が遥かに多い。その不安には共通点がある。『借り物の夢』が深く関係している。」(p73)
「母校の運動部のコーチをしたい。南の海で先生をしたい。大学院に行きたい。それぞれが夢を語る。だが良く聞いてみると具体的プランがないことも多い。(中略)やはり現状に対する不満や自分に対する不甲斐なさが根っこにある。だが、そこから逃げたいとは思いたくない。だからちょっとハードルの高い夢をもう一度掲げてみるのだろう。夢を持つこと自体が悪いのではない。だが、地に足のつかないままに夢を追った勢いでうっかり会社を辞めてしまうと漂流が始まることもあると思う。」(p75-76)
「危なっかしい者たちにはどこか共通点がある。高校や大学の頃の自分を追いかけているようなところがあるのだ。『あの頃が一番自分らしかったなあ』という心持ちになってシャボン玉を追っかけている。その夢に比べて、毎日会社に通う自分がどうしてもパッとしない。 いわゆる自分探しを通り越して、何というか自分が自分のストーカーになっているようなのである。追われる方も困るが、追う方だって思いは必死である。『本当のお前は違うだろ』『いやこれでいいんだから、これ以上付きまとわないでくれ』 そんな問答が一人の中でおこなわれているような感じなのである」(p76-77)
わかるような気がしますね。10年ほど前までは、人材流動化が進んでいる広告業界でさえも、会社に入ったら定年まで勤め上げるのが普通だったと思います。女性でも結婚して出産するまでは会社にいるだろうなと漠然と思っていたのではないでしょうか。しかし、今の時代それを普通だと思っている人はいないと思います。実際転職したり、自分の好きなことを始めた人の話は溢れています。今は、自分の未来を自分で自由に描くことが当然であり、奨励されているわけです。
「自分の未来を自由にスケッチしてごらん。そう言われただけで、夢は描けるものではない。とりあえず借り物の夢を描いてみるがそう簡単には叶えられない。そうなると『自分ストカー』状態になってしまう。」(p78)
かといって、誰もが夢を描き実現させられるわけではありません。現実感の乏しい「借り物の夢」ではなおさらです。しかし自分のできそうな範囲、例えば会社での仕事を頑張って夢を実現するということは、それこそ夢のない「(サラ)リーマン的生き方」であり、良くない!と思ってしまう。かくして、優秀でプライドのある新人たちは、悶々とする中で会社への不適応を起こしていく、ということでしょうか。
メカニズムはわかったとして、新人、会社の上司共にハッピーになる方策とは何なのでしょう?
氏はそこで、新人と上司とによる「対話」を提案しています。新人だって苦しんでいるわけだから、上司は自分の体験を押し付けずに、彼らの悩みを認めつつ話をしよう、というものです。
少なくともあてもなく会社を辞め、人生に漂流する新人を減らすことにはつながるでしょう。確かにこれが、出来る唯一の解のように思えます。
とはいえ、なんだか困った時代だな、とも思いますね。悩みはわかりますが、悶々とするのは学生までにして欲しいし、学生には悶々とする時代を抜け出してから広告代理店の門を叩いて欲しいと思いますね。
辞めてしまうかもしれない腰の座らない人間と一緒に仕事をするのは嫌だし、時間と労力の無駄ですから。何より一生懸命仕事を教えても、間もなくいなくなってしまうでは、やりきれません。
そうだ! 新人採用の基準を変えるのがいいかもしれません。「学生時代悶々と過ごした人」、あるいは「人生に対して腰の据わった人」というのを、優先採用基準にするというのはどうでしょう?
☆山本直人著「話せぬ若手と聞けない上司」(2005年)新潮社新潮新書
話せぬ若手と聞けない上司