広告代理店の現場からみた読書案内

広告・マーケティング関連の書籍を、広告業務の一線で働いている立場から紹介・書評します。

カテゴリ: 広告会社・広告ビジネス

 電通や博報堂クラスの広告会社からは、時々執筆者がその会社の社員、あるいはその会社内のプロジェクトであることを明記した本が出版されることがあります。
 内容は、その会社独自のマーケティング戦略の切り口提案だったり、コンシューマーに関する新しい捉え方の紹介だったりします。会社の名前が入った本である以上は、もちろんその会社のPR活動の一環としての出版ということになるのでしょう。

 しかしPR活動だからといって、宣伝臭かったり、独善的なものであったりするとは限りません。過去には非常に優れた、インサイトフルな内容の本がたくさん出版されてきました。例えば私が印象に残っているので言うと、大変古い話ですが、こうした本の先駆けとも言える、今から30年前に出版された博報堂生活総研の「分衆の誕生」「タウンウオッチング」などがその典型です。この本は実は私が広告業界を志望する上で大きな影響を受けた本でもありました。
 しかし一方では、あからさまな宣伝目的の本もあるわけです。今は、一定のお金を支払えば出版社から本を出してもらえる時代でもありますから。しばらく前に紹介した電通の「クロスイッチ」という本も、クロスメディア戦略の入門書として優れた本ではありますが、電通のプランニングシステムの紹介本であるという点ではその範疇に入るでしょう。

 ただ、いずれにしてもその出版がPR活動であるならば、その本は企業にとっての「自己紹介」「プレゼンテーション」でもあるわけで、クオリティが高ければ評価も高めるし、そうでなければかえって評判を落とすリスクがあるものだと言えます。

 今回紹介する「リアルヂカラ」を読んで、私は、正直これはちょっと「リスクのある方」だったのかな、と思ってしまいました。

 「リアルヂカラ」というネーミングは秀逸なものです。ちょっと前に流行った「目ヂカラ」という言葉から取ったのでしょうか? これだけバーチャルなものが持てはやされている時代にあえて「リアル」で勝負をかけるという着眼点はいいし、デザイン系の人たちが執筆者ということもあるのか、中身のデザインもクールです。

 しかし肝心の内容の方は、たとえ宣伝本だとしても、着眼点がよいだけに、「もう少し頑張って欲しかった」というのが正直な感想です。

 まず、考えれば分かる当たり前のことしか書いてないような気がします。例えば、

 「そもそも実体験領域の施策は圧倒的な情報力を持っています。空間、音楽、映像、素材など五感を刺激するすべての要素がそこにあります。さらに実体験の場では人的な接触や、同時に体験している人々の反応までもが体験要素となります。実体験領域では、一方向的で限られた時間スペースの中で情報を凝縮して発信するマス宣伝や、モニター画面だけで情報の受発信が行われるインターネット情報とは比較にならないほどの情報が発信され、実体験という形で生活者につよいインパクトを与えています。」(p5)

 と、さもすごい発見のような書き方をしていますが、既に誰でも知っていることではないでしょうか? 「実体験」が重要だから、どの企業も店頭を大切にしたり、ショールームを設置したりするわけですよね? 新しい話ではないわけです。むしろこの領域の課題は、「実体験ができる施設」への誘客だったり、そこを情報発信源にした情報の拡散だったりすると思うのですが、この本にはあまりそうした点が触れられていません。おまけに、今日ではインターネットを通じた体験も重要な“実体験”なのだと思いますが、上記ではそれを過小評価するような書き方さえされています。
 
 また、冒頭には「リアルヂカラ」という言葉の定義が次のように記されています。

 「『リアルヂカラ』とは、イベント、コンベンション、店舗、ショールームなどブランドと生活者がリアルに接触できるタッチポイントが持っているコミュニケーション力を指している言葉」(p3)

 しかし少し突っ込むと、実は最大の「実体験」はそのブランドの使用・利用体験なのではないでしょうか? 例えばそれは次のブランドの購入(リピート購入)に決定的に大きな影響を与えます。ところが、この本では「リアル」が大切だといいつつ、そうしたブランド使用・利用体験についての役割に関する記述が見当たりません。この点は大きな疑問です。

 あとは、紹介されている事例も掘り下げ方が不十分かな、とか、最後に載っている自転車の架空のケーススタディに関しては、まったく普通の商品キャンペーンケースと変わらないんじゃないなか、とかいう印象も受けました。この本の帯には建築家の隈研吾氏が顔写真入りで登場し、「この本は建築と広告の境界線上にある。」と言ってますが、隈氏、絶対この本読んでないな、読んでいてこんなコメント出すのだったら、よほど目が節穴か、お金を積まれているかのどちらかに違いない、などと意地悪にも私は思ってしまいました。

 と、批判めいたことを書いてしまいましたが、このブログは良いものは良い、良くないものは良くない、というのがモットーですから(あくまで私の視点でですが...)、気分を害された方いらっしゃったらご勘弁ください。。。


 さて、最初に書いたテーマ「企業の宣伝本」としてリスクがあるのではないか、ということについてですが、このエントリでこのテーマを書こうと思ったのは、次ことを感じたからでした。

 博報堂の場合、今回紹介した本と類似したテーマについて過去書かれた本として「ライブマーケティング」という良書があります。しかし、この本ではまったく「ライブマーケティング」について触れていません。これは博報堂に何かを期待して両方読んだ人からすると、同じ博報堂の本なのに「ライブ」と「リアル」は何が違うのか? あるいは同じなのか? などと混乱してしまうでしょう。
 また、博報堂はブランディングに関しても過去多くの本を出していて、最近では「エンゲージメントリング」という概念をよく紹介しています。しかし、その概念との関係についても何も触れないばかりか、まったく独自のブランディングメソッドを提唱しています。
 つまり、過去に博報堂からいくつも出版された似たようなテーマの本と、この本はまったく連携がないため、それぞれの本が勝手なことを言い合っている、という印象を読者に持たせてしまう恐れが少なくないのです。
 これではいろいろな本を出しているのに、「博報堂は、こんな概念を大切に考えいて、こういうサービスを広告主に提供したいと思っている」ということが、かえって分かりにくくなります。広告会社のプレゼンテーションで、マーケとクリエイティブの言っていることが互いに関係のないことを言っているため、プレがしらけるということと似ています。企業PRが目的のはずなのに、その目的とは反対の方向に進んでいるように思うのです。

 せっかく手間をかけて出版する本なのに、それではもったいないでしょう。
 本当は企業の広報なりの部署が、ある程度内容をコントロールするのがいいのかも知れませんが(一種のブランディング!)、現実的には難しいのでしょうか。

 「宣伝本」の出版というのも良し悪しなものだ、と今回は思いました。

☆博報堂エクスペリエンスデザイン編「リアルヂカラ」(2008年)弘文堂
リアルヂカラ
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 今回紹介する本は、博報堂の元クリエイターによる「広告人としての心構え」を書いた本で。。

 「博報堂スタイル」というタイトル、元博報堂の社員、ということで、博報堂の自慢本かなと思って読み始めました。まぁ確かに自慢本ではあるのですが(苦笑)、意外にまともで(失礼!)、こういう本も手元に置いておいてたまに読み返すのもいいな、と思ったので今回ご紹介します。

 内容は博報堂について紹介した序章と、広告人としての心構えを書いた1〜3章からなっています。
 もともと、著者が博報堂時代に、新人向け研修で使っていたメモを元に加筆作成したと言うことなので、心構えについて書かれてある1〜3章も、「広告会社は」「博報堂は」「仕事とは」という内容になっており、正しくは「博報堂社員としての心構え」が書いてあると解するべきなのでしょう。しかし、別に博報堂の社員でなくても、すべての広告コミュニケーションビジネスに携わる人にとって読んでためになる内容だと思います。

 見開き1ページの、右側にキーとなる言葉、左側にその解説という構成になっており、好きなページから好きなだけ読むことができます。

 どんな“ためになること”が書いてあるのかは、それぞれの人が感じ取ってもらうものだと思うのでみなさん読んでいただきたいと思いますが、私が気になったコトバを少し列挙しました。

 ・広告人の前に「社会人」であろう
 ・いつも社会のことを考えて仕事をしよう
 ・広告は「幸せ」を売る仕事だ(だから誇りを持て!)
 ・提案は企業ではなく「世の中に合わせる」
 ・「創って、動かして、世の中を変える」これが成果だ
 ・社内でどう通じるかではなく、社外でどう通じるか
 ・発見名人になろう
 ・技術が進化するほどに、デザインが差異化となる(by 日産ゴーン社長)
 ・全体のストーリーが描けるか、それがチカラだ
 ・プロは切り捨てる、アマチュアはすべて取り込む
 ・日常がすべて。毎日研修。

 まあ、どれも当たり前といえば当たり前のことですが、普段ぼんやりとは思っていても言葉にしていないことを、このように言葉にすると、それを少しは注意してみようという気になります。

 そしてその中でも、個人的に一番好きな言葉は、次の言葉。

 ・創造力より創造力 (p110)

 「想像力は夢見る力(イメージを描く)で、創造力は夢を実現する力(カタチを創る)です。今ビジネスマンには、この2つの『そうぞう力』が求められています。すべて『人と違うことを考え、人と違うものを創る』ことで差別化となり、競争力となるからです。企業も個人も、人と違うことでオンリーワンとなり、存在感を増し、信頼され続けてブランドとなっていきます。その基盤は『そうぞう力』。
 とくにビジネスでは『想像力』がすべての行動に要求されます。」(p111)


 2つの「そうぞう力」が大切なのは分かりますが、「想像力」の方を上位に持ってきています。そうなんですよね。この考え方は私も賛成です。
 広告に携わる人には、しばしば「クリエイティビティ」が必要とされます。それは「何かを創るチカラ=創造力」のように受け取れますが、それだけでは足りない。何かを創る前提として、企業や消費者、そして社会のありようを「想像」することで、よいソリューションが生み出せるのだと思います。

 こうしたタイプの本は、広告テクノロジーがどうだとか、最新のクロスメディア手法が何だとか、という議論の前には、かなりアナクロに見えます。
 しかしどんなに技術が発達しようとも、コミュニケーションビジネスがお客様(クライアント)の課題に対して、顧客や社会のことを考えながらアイデアを生み出して解決を図るようなものである限り、ここに書いてあるような内容が決して古くなることはないと思います。

 筆者が博報堂の新人研修で、この本の基になった内容を話していた際、サブタイトルとして「5年先からジワジワ効いてくる話」と題し語っていたということが前書きに出ています。
 確かに、こうした心がけのある人とない人では、数年経つと差が出てきてしまうでしょうね。
 常に携帯してここに書いてある通りの行動を取るべきだ、とは言いませんが、たまにはこうした本を読んで、自分の仕事ぶりを振り返ってみるのは悪くないと思いました。


☆高橋宣行「博報堂スタイル」(2008年)PHP研究所

博報堂スタイル
博報堂スタイル

 前回のエントリ(「2010年の広告会社」の書評)でも広告会社の将来について書きました。今回紹介する本も、前回に引き続いて、広告会社の将来像について書いた本です。

 この本ももう随分話題になったので、今更書評を書くのも気が引けるのですが、広告会社の過去・現在・将来を考える上では、きっと避けては通れない本だと思いますので、ご紹介します。
 著者の藤原氏は元電通総研社長。つまり日本最大の広告会社の中心にいた人による広告会社論が本書ということになります。

 しかしこの本、Amazonなどの評判がまったく良くありません。曰く、「自己中心的」「広告会社のレベルの低さ、広告会社が変われないことを象徴している」「提示される将来像が不鮮明」「Googleを始めとした環境変化への理解が足りない」など。実際そうした批判はその通りだと思いますし、独善的・夢想的な主張も目立ち思考の限界を感じてしまいます。
 特に、著者が電通の幹部だったことから「電通的なものの考え方」が良くも悪くも随所にでているのではないかと思いました。つまり、日本の広告業界を背負ってきたという自負とエリート意識、反面の自分のビジネススタイルに対する無謬性意識と傲慢さ、自分を超える存在を認められないという偏狭性などです。「広告会社は変われるか」というテーマも、結局は「電通は変われるか」を論じているように思います。
 つまりこれは電通の内在的論理に基づいて書かれているもの(一種の「社内論文」でしょうか)なのであり、その辺りに、社外の人が見ると感じる違和感不快感の原因があるような気がします。

 ただしそう割り切って読むと、これは現状の「(電通を中心とした日本の)広告会社」とはこんなもの、ということを理解する格好のテキストなのだとも思います。何しろ、日本の伝統的大手代理店は基本的には電通と同じビジネスモデルで仕事をしているわけですから。

 さてこの本の内容ですが、大きく「広告会社の過去の発展の歴史や現状の問題点」を書いた部分、そして「将来のメディア環境変化(特に2011年からの地上波デジタル放送完全実施以降)に対応したあるべき将来像」を書いている部分に分かれます。

 この中で、広告ビジネスの歴史と今後の課題について書いている部分は、さすが電通の元幹部だけあって、とても読んで参考になると思います。
 その通りだと思った部分何カ所かあるのですが、例えば広告主が変貌するというテーマで広告主と広告会社との関係を論じている部分の指摘。近年の傾向ですが、従来広告会社との主要取引窓口であり、広告会社に仕事をくれる存在だった「宣伝部」の地位が凋落傾向にあります。それに対して著者は、新た関係先部署として3者(経営企画室・資材部・プロダクトマネージャー)を指摘し、彼らとの関係をうまく取り結べないと「『おぜぜ』の取りっぱぐれが起こる」(p63)と指摘しています。
 クライアントが変化していく中で、広告会社との関係も多様化しつつあるのは現実で、非常に実感に合う問題意識です。

 しかしそれにしても「あるべき将来像」についての語りの緩さはどうしてでしょう? 著者の言うように、今後IT化、デジタル化が進展し、テレビ、パソコン、携帯電話など「メディアの種類」に依存しない形で各種コンテンツが流通するようになる、という認識は間違っていないのかも知れません。しかしだからといって、

 「ネットとメディアが融合すると、媒体は一つになる。今までのマス媒体もネットも融合するので一つの媒体の出現と相成るのである。その融合の結果生じる新しい媒体を何と呼ぶか。筆者はそれを『eプラットフォーム』と呼ぶ。」(p50)*下線部私

という将来予想は妥当でしょうか? コンテンツが自由に流通する姿は想像できますが、また新たな「一つの媒体」ができる、という発想は想像しにくいです。媒体を売ってきた電通の元幹部らしい、「結局は新しい媒体が登場しないと、何か不安だ!(笑)」という気持ちがあるのならばそれはわからないでもないですが...(苦笑)。

 もっとも、この本の結論の方で、電通・博報堂などが目指すべき方向性として、新しいメディア「eプラットフォーム」の「盟主になれるか(p160)」が重要なのだが、「このeプラットフォームの盟主になる広告会社は、結果的にグローバル化をせず、いままでどおり国内に専業する(p160)」とあります。

 「盟主」という言葉遣いからして、旧来の電通的価値観のような気がしますが、国際競争の荒波にもまれるのはもうイヤだから、日本の中で生きて行けばいいや、という発想は、しかしながら伝統的広告会社にとっては、もはや意外と現実的な解決方法なのかもしれません。

 ところで、先日の日経ビジネス5月14日号では、「電通が挑むメディア総力戦」というタイトルの中で、上記の「eプラットフォーム」に似たようなシステムをGoogleに対抗すべく整備中というような記事がありました。

 ただその記事で書かれているのは、放送と通信との融合時代における新たなメディアなどではなくて、単なるアドネットワーク(アドサーバー)の一種のようです。

 この本でも「広告会社の最終兵器はアド・サーバー(p167)」なんて書いてあるし、もしかして、電通が来るメディアの大統合時代に向けて整備を進めているのはコレなのでしょうか?? 

 アドサーバーの価値を否定するわけではないですが(もし将来、テレビCMも行動ターゲッティング的な配信ができるというなら、またそれを狙っているならば凄い話ではありますが...)、こうしたものを整備する方向が、筆者の考える「広告会社は変われるか」の結論だとすると、ちょっと最後に問題が矮小化されてしまった感じがします。そもそもアドサーバー(アドネットワーク)なんて既に数多く存在しているわけですし、大手のDoubleClickをGoogleが買収するなんていうニュースもあるような中で「盟主」となるなんてことは簡単に口にできることではありませし、それを達成するその道筋さえも書いてはありません。

 将来の広告会社への提案として、システム周りの話をするのもいいですが、クリエイティブの可能性など、もっとGoogleなどにない広告会社固有の能力についてスポットライトを当てるような方向も考察して欲しかったです。
スペースブローカーとして広告会社を捉える電通的な論理が結局最後まで顔を出している本、ということなのかも知れません。

☆藤原治「広告会社は変われるか」(2007年)ダイヤモンド社

広告会社は変われるか―マスメディア依存体質からの脱却シナリオ

 「このままだと広告ビジネスと広告会社は、早く変わらないと破滅することになる。」(P3)

 この本の書き出しは、この言葉から始まっています。現役で広告会社に籍を置く人ならば、こういわれて何も心当たりがないという人は、多分いないでしょう。

 現在でもなお、大手広告会社は学生の人気就職先の一つであります。多分外側からみれば華やかな仕事に見えているのかもしれません。しかしながら内実を知ってしまうと、その将来性について明るい展望は決して抱けない、というのは事実だと思います。

 理由はいくつもあります。

 広告市場の成熟化・頭打ち傾向、厳しさを増す広告主によるディスカウント要求、非マスメディア領域の注目に伴う煩雑な業務の増加、慢性的な忙しさ、増えない利益、増えない給与、経費の締め付け傾向、成功しない海外展開、買収のうわさ、Googleなど新たなプレーヤーの登場の一方で取り残されている感じ...etc。

 この本は、こうした現状の広告会社・広告ビジネスが持つ限界性を指摘し、「変われ、さもなくば生き残れない!」と叱咤激励するものになっています。

 著者の述べるさまざまな問題点の指摘、確かに鋭いと感じるところがいくつもあります。例えば、以下のような指摘。

 「10年後、広告会社の80%が消滅する」(p14)
 「衰退期に入った広告のライフサイクル」(p18)


 広告会社の80%が消滅するというのは現実問題として大げさかもしれませんが、業態が大変革し、M&Aなども含めて今と同じ会社がそのまま継続して残っているケースは少ないだろうという見方には賛成です。その理由は「衰退期に入った広告のライフサイクル」とありますが、従来の広告会社の収益モデルが限界を迎えている、つまり会社経営の根っこのところが弱くなってきている、という点が最も大きいと思います。

 従来の広告会社の経営を支えてきた収益モデルとは「コミッション型モデル」であり、それはマス広告の仲介に伴う高額の手数料(メディアコミッション)を収入の柱とするモデルです。広告会社(広告の仲介会社なのでまさに「代理店」)はそれにより高い給与と社会的ステータスを得、またクライアントに対しては、マーケティング戦略その他のフルサービスを無料で提供してきたわけです。
 しかしながら、日本のデフレ経済をきっかけに、クライアントが手数料の引き下げ要求を出したり、マスメディア扱いを1つの代理店に集中させることで手数料の引き下げを迫ったりし始めました。それだけではありません。インターネット広告の出現などにより、マス広告の効果の相対的低下が指摘され、出稿自体も減ってきてしまったのです。

 つまり、マス広告に依存していたにも関わらず、マス広告出稿減、手数料も減、一方で提供サービスは変化なし。いや、マス広告以外の領域の業務が増えている分、提供サービスは増加しているかもしれません。
 ちなみに、それではインターネット広告や非マスメディア領域に注力すればいいではないか? という人がいるかも知れません。しかし、そうした分野は成長分野ではありますが収益性がまだまだ低く、既に高年齢者を含む多大な人員を抱えてしまっている広告会社にとっては、そのマス広告の減少・手数料低下を補えるものではないのです。(中には、ご高齢で高給取りの方をすべて辞めさせれば問題解決、という過激なことを言う人いますが...)
 
 こうした問題点に対して、コミッションではなくて、実際に提供したサービスに対する対価(フィー)に依存する経営に転換するべきだ、という意見がしばらく前からあります。実際には欧米では広告会社のフィービジネスが一般化しています。しかしながら商習慣の異なる日本では、広告主にとって目に見えないサービスに対価を払うことに抵抗があるのか、一向に定着しません。
 もっとも、一方でフィーが本当に望ましい結論かどうかということについて、疑問を言う人もいます。

 植田氏は、本書で多岐に渡る広告会社が変わるぺきポイント(イノベーション)を提示し、最後に「いま広告会社に残されている最後の行動は、社長の決断だけである。イノベーションを断行するかどうかだ。」(p248)と指摘しています。

 広告会社は、いろいろな面で変わる必要があるのは間違いないでしょう。ただ、変革すべきポイントが多すぎて、目眩がしそうになるのもまた事実です。

 正直私は、将来を信じながらも、今の広告業界・広告ビジネスについて、多少暗い気持ちを感じざるを得ません。

 このテーマはまた取り上げますが、いずれにせよ、この本は現状の問題点が網羅されていて、参考になる一冊だと思います。

☆植田正也「2010年の広告会社」(2006年)日新報道

2010年の広告会社―革新のみが成功を約束する

 「プレゼン」...広告業界にあまり馴染みのない方に説明をしますと、「プレゼンテーション」の略で、広告会社がクライアントに対して比較的あらたまった場で行う、自社プランを説明して採用を働きかける機会を言います。「プレテ」という人もいます。
 30分から2時間程度時間をもらって、2〜3人から、多い時には会議室を埋め尽くす20人以上の人に対して、いかに自分たちの提案内容が優れているのかをいろいろな手段を使って説得するわけですが、これが成功するか失敗するかで(つまり採用・不採用により)数十億円のアカウント(仕事の扱い)が左右されることがあるので、大変重要な機会です。

 そうしたものですから、広告会社にいる人は当然プレゼンを大切に考えているわけですし、プレゼンが上手な人(つまりその機会を上手に演出できる人)は、会社の中でも高い評価が与えられることが多いと思います。
 それだけ重要なプレゼンですから、他の人、とりわけ広告業界で活躍している人はどんなプレゼンをしているのだろう、ということは興味があります。あまりそうした話は表に出て来ないし、他社のプレゼンを見ることも通常ありません。自分に参考にできる部分があれば参考にしたいし、単純にのぞいてみたい気もします。

 今回紹介する本は、主に広告業界で活躍する19人のクリエイターが「私のプレゼン」をさまざまな角度から語ったアソート集です。
 読んでみて、なるほど〜、と興味深いところがいくつもありました。
 ちなみに、クリエイターの話なので、クリエイティブプランを提案する話がメインとなっています。これ、同じプレゼンに望むにしても営業やプランナーの立場ならば、まったく別の話があると思いますが、それは置いておきましょう。

 以下、印象に残った偉大な先達たちの金言(?)をいくつかピックアップしました。

・岡康道氏(タグボート)
 「うまいプレゼンなんかいらない。いい企画を考えることが重要だ。」(p40)
 「プレゼンが迫ってきたらやることはひとつしかない。直前までもっといい企画はないのか考えることだ」(p41)
 
 いいですね。一つ二つ出てきたアイデアに最後まで縛られてしまう人って、クリエイターに限らず少なくないと思うのですが、直前まで油断せず考え抜くことは大事にしたいです。意外と後からいいアイデア出ると、前に固執していたアイデアが陳腐に見えたりしますから。

・中島信也氏(東北新社)
 「パワーポイントを使った説明が始まると、突然プレゼンそのものがつまらなくなる。内容も理解できなくなってしまう。(中略)なぜ、つまらないと感じるのか、それは、プレゼンの主役が『資料』になってしまうことが最大の原因でしょう。」(p49)
 パワーポイントがイヤだという声は、おおむね共通していました。クリエイターは特にそうでしょうが、プランナーも心に留めるべき言葉ですね。

・團紀彦氏(建築家)
 「大切なのは、自分の意図を理解してもらうことではなく、クライアントが積極的に参加してくれる姿勢になることです。いわば、提案者である私たちの手を離れて、クライアントが内容に対していろんな解釈をして、イマジネーションを働かせながら参加してくれる状況を作り出すこと。」(p78) 
 團氏は建築家ですが、広告業にも全く当てはまる話です。こちらが詳しい説明をしないでも、聞き手がこんな風な効果がありそうだとか、こんな風に使えるとか、勝手に考え始めた時、それは提案物が送り手と受け手の共有物になった「いいプレゼン」の瞬間だと思うのです。こうなれば、間違いなく採用されそうです。
この話は、19人の中でもとりわけ大切にすべき視点だと思いました。

・佐々木宏氏(シンガタ)
 「ちょっとダサいですが、ぼくにとってプレゼンは『プレゼント』という感じがするんです。リボンをつけて人に贈り物をするのと同じで、靴下を欲しがっている相手に、そのままの靴下をわたしても、『私の欲しいものが買ってあったのね』程度の反応でしょうが、靴下型のダイヤモンドだったりとか、靴下だけど、その中に意外なものが入っていたりとか、ちょっとした工夫をしてあげれば喜んでもらえますよね。そのちょっとした工夫が、自分がひと晩徹夜をすることでできるならば、やってみたいと僕は思う。」(p89)
 正直言って「靴下」の比喩はわからないのですが(苦笑)、プレゼンはプレゼントという発想はいいですね。私も人にプレゼントを贈ることは好きで、悩んで工夫したりするもの好きなのですが、そう思うとプレゼンも相手に喜んでもらえるようする、という視点で工夫できると思います。「相手本位」というのは商売なら何でも大切な態度ですしね。

・多田琢氏(タグボート)
 「クライアントの方針はもちろん重視しますが、相手の好みなどはあまり考えない。要するに、どういうものが通りやすい、ということは考えないんです。そうではなくて、相手にとって一番必要なはずのものを提案したい。いい寿司屋は、お客さんの好みを事前に調べたりしないで、とりあえず一番いいネタで勝負しますよね。それと同じです。」(p133)
 私は多田氏のこうした主張に賛成ではなくて、むしろ反対です。お客の好みをさりげなく聞き出してネタを出してくれる寿司屋の方が、本当のいい寿司屋なんじゃないかなぁ、と思うからです。しかしいいアイデアで勝負をすべきという考えは、本当に優れたクリエイティブを生み出す秘訣として傾聴すべきだ、とも思うのです。特に広告がつまらなくなったといわれる今日においては。

・小沢正光氏(博報堂)
 「もちろんお客様(注:たぶん消費者)の声もよく聞きますし、クリエイティブの声を聞くのも当然ですが、最もその商品のことを考えているクライアントの声を聞けというのがぼくの主義なんです。だいたい、そのなかに答えがあります。」(p139)
 「企業のトップが考えていないことが切り口になるというケースは、まずありえないと思います。そんな企業はつぶれますよ」(p142)

 本の中で、多田氏と小沢氏は続けて紹介されているのですが、制作方針は真逆とも受け取れます。クリエイティブのやり方に決まりはないということを感じさせる上で、この対比は編集の妙ですね。私自身は小沢氏の発想に近しいものを感じますが。
 
 みなさんそれぞれ自分の考えや秘訣を持っていて、引き込まれます。「プレゼン」というものが身近な人にとっては、多くの発見があるのではないかと思います。

 さて、一人ひとりアプローチは個性もあってさまざまなのですが、そうした中にあって、奇妙なくらい、ほぼすべての人が共通して主張していた内容が一つだけありました。
 「競合コンペ」についてです。

 代表して、柴田常文氏(博報堂)の意見を紹介します。

 「大きなビジネス案件になると、ズラーッと何社もが競合でプレゼンするわけです。確かに、その中のどの会社が最もよく自分たちの悩みを聞いてくれるのだろうか、広く叡智を集めたい、という気持ちはわかります。でも取り組む側にすれば、いかにコンペに勝つかが優先になって、クライアントやその商品のことが二の次になりかねません。(中略)結果的に勝ったのはいいけど、物が売れなかった、広告がつまらなかったという事態にもなりかねないわけです。
 いいキャンペーンを長く続けている企業というのは、クリエイターとクライアントの信頼関係が非常にしっかりしています。膝を突きあわせて侃々諤々やる仕事のほうがうまくいくわけで、ぼくは競合のプレゼンというのはなくなればいいと願っていますけれど。」(p160)

 
 同感です。残念ながらわれわれも人間ですから、お客さん(クライアント)のことを考えた提案より、勝つための提案を優先することがあります。それに何より、競合コンペでは、お客さん課題や悩みを理解しきれないまま短期間で企画を立てなければならないことが多く、そうして作ったプランは、結局は無駄になることが少なくないですし、そのまま実制作に進んでもお客さんの課題に答えたものにならないリスクが高いと思います。
 このブログをご覧になっている方で、広告主の立場の方がいらっしゃいましたら、競合コンペの弊害について真剣に考えていただきたいと思います。

 いいキャンペーンのために大切なのは、出てくるアイデアの数ではなくて、信頼関係の強さだと、私は絶対思いますから。

☆眞木準編「ひとつ上のプレゼン。」(2005年)インプレス

ひとつ上のプレゼン。

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