久々に刺激を受けた本でした。
実はあまり最初は興味がなかったのです。もともと消費者論みたいな本は読んでも「だから何なの?」としか感じないことが多かったし、著者の鈴木謙介氏も1976年生まれとのことでまだ若いし、カヴァーの写真も売れないミュージシャンみたいだし(失礼!)、それなのに文章をちらちら読んだら妙に老成しているし...。昨年末に買って机の上に置いたまますっかり忘れていました。しかし他に読む本もなくなったし、読んでみようかなぁと軽い気持ちで読み進めるうちに、なかなか着目ポイントが良いぞ、と思ってきました。
まずこの本は、今日の消費社会、とりわけ若者層に見られる消費意識や行動について分析した本です。車が売れない、ビールを飲まない、海外旅行に行かない...など、今日の若者層の消費行動について“???”を感じる人は多いような気がします。それを単なる現象の羅列や定量調査結果などから分析するのではなく、消費行動を説明する理論を構築して論じている点がユニークなところです。
特に印象に残った視点は「共同体」に関する論考でした。
1980年代以降の消費者論では、大衆が分衆になったとか、中流層が崩壊して上流と下流に二極化したとか、同じ価値観やライフスタイルを共有するグループがどんどんミニサイズになってきたというのがずっと語られてきました。結果として、多様な個性や価値観にフィットするような商品やサービスが好ましいと言われてきた訳です。しかし一方で今日でも「ブーム」というのは健在で、しばしば互いに脈絡のない短期的なブームが次々に現れては消えていきます。ばらばらな価値観を消費者が持っているのになぜそのようなことが起きるのか、ということを筆者は問題意識として設定したようです。
「とはいえ、人びとがそうした関心の分化に基づいて、個々ばらばらになっていったというわけでもない、というのが本書における私の立場です。『みんな』というモノサシ(ブログ作成者注:「共同体の共有する価値観」)が自明なものでなくなり、個別の動機が重要になったとしても、それが集合し、『わたし』という動機の結合体としての〈わたしたち〉を生んでいる。それが、様々な場面での『見えないヒット商品』の登場の要因であると私は考えています。」(p85)
そして短期的ブームが次々起きる現象を説明することとして筆者は、何らかの「ネタ」を介して一時的に集まった同じ関心を持った人たちがブームを盛り上げ、そして飽きてまたバラバラになっていくのではないのか、という説明をしています。彼らは、「わたしたち」というつながりを求めて結合するのだといいます。そしてそれは「参加者にとって理想の共同体のように感じられるつながり、すなわり『共同性』と呼ぶべきものだ」(p107)というのです。
さらに、
「共同体から共同性へ、人々のつながりへの希求のあり方が変化してくると、そこで重要になるのは、そのつながりが共同体の形式をとっているかどうかではなく、参加しているメンバーにとって『共同体のように感じられるかどうか』という点になります。ここにわたしたち消費の源泉となっている人々の繋がりに、『ネタ的コミュニケーション』のような、コミュニケーションのためのコミュニケーションが求められる要因があります。」(p107)
この指摘はなかなか面白いと思いました。「共同体のように感じられるつながりをどう作るか」なんていう指摘は、明日から企画書の中で使えそうです(笑)。まぁ冗談はさておき、まじめに頭の片隅においておいても損をしない視点だと思いました。
ただし、この本のほかの部分にはピンと来ない部分、話が散らかる部分、ネット上の流行をさも大流行したかのような過大評価をしていると感じるような部分が多少ありました。あと、電通の担当者が書いた最後の章は、鈴木氏の論考とも直接関係していないような感じがして、全体として散漫な印象も受けました。
上記の「共同性」の指摘を読むだけでも、買う価値はあると思いますが。
☆鈴木謙介+電通消費者研究センター『わたしたち消費』
わたしたち消費―カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス (幻冬舎新書 す 1-1)
実はあまり最初は興味がなかったのです。もともと消費者論みたいな本は読んでも「だから何なの?」としか感じないことが多かったし、著者の鈴木謙介氏も1976年生まれとのことでまだ若いし、カヴァーの写真も売れないミュージシャンみたいだし(失礼!)、それなのに文章をちらちら読んだら妙に老成しているし...。昨年末に買って机の上に置いたまますっかり忘れていました。しかし他に読む本もなくなったし、読んでみようかなぁと軽い気持ちで読み進めるうちに、なかなか着目ポイントが良いぞ、と思ってきました。
まずこの本は、今日の消費社会、とりわけ若者層に見られる消費意識や行動について分析した本です。車が売れない、ビールを飲まない、海外旅行に行かない...など、今日の若者層の消費行動について“???”を感じる人は多いような気がします。それを単なる現象の羅列や定量調査結果などから分析するのではなく、消費行動を説明する理論を構築して論じている点がユニークなところです。
特に印象に残った視点は「共同体」に関する論考でした。
1980年代以降の消費者論では、大衆が分衆になったとか、中流層が崩壊して上流と下流に二極化したとか、同じ価値観やライフスタイルを共有するグループがどんどんミニサイズになってきたというのがずっと語られてきました。結果として、多様な個性や価値観にフィットするような商品やサービスが好ましいと言われてきた訳です。しかし一方で今日でも「ブーム」というのは健在で、しばしば互いに脈絡のない短期的なブームが次々に現れては消えていきます。ばらばらな価値観を消費者が持っているのになぜそのようなことが起きるのか、ということを筆者は問題意識として設定したようです。
「とはいえ、人びとがそうした関心の分化に基づいて、個々ばらばらになっていったというわけでもない、というのが本書における私の立場です。『みんな』というモノサシ(ブログ作成者注:「共同体の共有する価値観」)が自明なものでなくなり、個別の動機が重要になったとしても、それが集合し、『わたし』という動機の結合体としての〈わたしたち〉を生んでいる。それが、様々な場面での『見えないヒット商品』の登場の要因であると私は考えています。」(p85)
そして短期的ブームが次々起きる現象を説明することとして筆者は、何らかの「ネタ」を介して一時的に集まった同じ関心を持った人たちがブームを盛り上げ、そして飽きてまたバラバラになっていくのではないのか、という説明をしています。彼らは、「わたしたち」というつながりを求めて結合するのだといいます。そしてそれは「参加者にとって理想の共同体のように感じられるつながり、すなわり『共同性』と呼ぶべきものだ」(p107)というのです。
さらに、
「共同体から共同性へ、人々のつながりへの希求のあり方が変化してくると、そこで重要になるのは、そのつながりが共同体の形式をとっているかどうかではなく、参加しているメンバーにとって『共同体のように感じられるかどうか』という点になります。ここにわたしたち消費の源泉となっている人々の繋がりに、『ネタ的コミュニケーション』のような、コミュニケーションのためのコミュニケーションが求められる要因があります。」(p107)
この指摘はなかなか面白いと思いました。「共同体のように感じられるつながりをどう作るか」なんていう指摘は、明日から企画書の中で使えそうです(笑)。まぁ冗談はさておき、まじめに頭の片隅においておいても損をしない視点だと思いました。
ただし、この本のほかの部分にはピンと来ない部分、話が散らかる部分、ネット上の流行をさも大流行したかのような過大評価をしていると感じるような部分が多少ありました。あと、電通の担当者が書いた最後の章は、鈴木氏の論考とも直接関係していないような感じがして、全体として散漫な印象も受けました。
上記の「共同性」の指摘を読むだけでも、買う価値はあると思いますが。
☆鈴木謙介+電通消費者研究センター『わたしたち消費』
わたしたち消費―カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス (幻冬舎新書 す 1-1)