電通や博報堂クラスの広告会社からは、時々執筆者がその会社の社員、あるいはその会社内のプロジェクトであることを明記した本が出版されることがあります。
内容は、その会社独自のマーケティング戦略の切り口提案だったり、コンシューマーに関する新しい捉え方の紹介だったりします。会社の名前が入った本である以上は、もちろんその会社のPR活動の一環としての出版ということになるのでしょう。
しかしPR活動だからといって、宣伝臭かったり、独善的なものであったりするとは限りません。過去には非常に優れた、インサイトフルな内容の本がたくさん出版されてきました。例えば私が印象に残っているので言うと、大変古い話ですが、こうした本の先駆けとも言える、今から30年前に出版された博報堂生活総研の「分衆の誕生」「タウンウオッチング」などがその典型です。この本は実は私が広告業界を志望する上で大きな影響を受けた本でもありました。
しかし一方では、あからさまな宣伝目的の本もあるわけです。今は、一定のお金を支払えば出版社から本を出してもらえる時代でもありますから。しばらく前に紹介した電通の「クロスイッチ」という本も、クロスメディア戦略の入門書として優れた本ではありますが、電通のプランニングシステムの紹介本であるという点ではその範疇に入るでしょう。
ただ、いずれにしてもその出版がPR活動であるならば、その本は企業にとっての「自己紹介」「プレゼンテーション」でもあるわけで、クオリティが高ければ評価も高めるし、そうでなければかえって評判を落とすリスクがあるものだと言えます。
今回紹介する「リアルヂカラ」を読んで、私は、正直これはちょっと「リスクのある方」だったのかな、と思ってしまいました。
「リアルヂカラ」というネーミングは秀逸なものです。ちょっと前に流行った「目ヂカラ」という言葉から取ったのでしょうか? これだけバーチャルなものが持てはやされている時代にあえて「リアル」で勝負をかけるという着眼点はいいし、デザイン系の人たちが執筆者ということもあるのか、中身のデザインもクールです。
しかし肝心の内容の方は、たとえ宣伝本だとしても、着眼点がよいだけに、「もう少し頑張って欲しかった」というのが正直な感想です。
まず、考えれば分かる当たり前のことしか書いてないような気がします。例えば、
「そもそも実体験領域の施策は圧倒的な情報力を持っています。空間、音楽、映像、素材など五感を刺激するすべての要素がそこにあります。さらに実体験の場では人的な接触や、同時に体験している人々の反応までもが体験要素となります。実体験領域では、一方向的で限られた時間スペースの中で情報を凝縮して発信するマス宣伝や、モニター画面だけで情報の受発信が行われるインターネット情報とは比較にならないほどの情報が発信され、実体験という形で生活者につよいインパクトを与えています。」(p5)
と、さもすごい発見のような書き方をしていますが、既に誰でも知っていることではないでしょうか? 「実体験」が重要だから、どの企業も店頭を大切にしたり、ショールームを設置したりするわけですよね? 新しい話ではないわけです。むしろこの領域の課題は、「実体験ができる施設」への誘客だったり、そこを情報発信源にした情報の拡散だったりすると思うのですが、この本にはあまりそうした点が触れられていません。おまけに、今日ではインターネットを通じた体験も重要な“実体験”なのだと思いますが、上記ではそれを過小評価するような書き方さえされています。
また、冒頭には「リアルヂカラ」という言葉の定義が次のように記されています。
「『リアルヂカラ』とは、イベント、コンベンション、店舗、ショールームなどブランドと生活者がリアルに接触できるタッチポイントが持っているコミュニケーション力を指している言葉」(p3)
しかし少し突っ込むと、実は最大の「実体験」はそのブランドの使用・利用体験なのではないでしょうか? 例えばそれは次のブランドの購入(リピート購入)に決定的に大きな影響を与えます。ところが、この本では「リアル」が大切だといいつつ、そうしたブランド使用・利用体験についての役割に関する記述が見当たりません。この点は大きな疑問です。
あとは、紹介されている事例も掘り下げ方が不十分かな、とか、最後に載っている自転車の架空のケーススタディに関しては、まったく普通の商品キャンペーンケースと変わらないんじゃないなか、とかいう印象も受けました。この本の帯には建築家の隈研吾氏が顔写真入りで登場し、「この本は建築と広告の境界線上にある。」と言ってますが、隈氏、絶対この本読んでないな、読んでいてこんなコメント出すのだったら、よほど目が節穴か、お金を積まれているかのどちらかに違いない、などと意地悪にも私は思ってしまいました。
と、批判めいたことを書いてしまいましたが、このブログは良いものは良い、良くないものは良くない、というのがモットーですから(あくまで私の視点でですが...)、気分を害された方いらっしゃったらご勘弁ください。。。
さて、最初に書いたテーマ「企業の宣伝本」としてリスクがあるのではないか、ということについてですが、このエントリでこのテーマを書こうと思ったのは、次ことを感じたからでした。
博報堂の場合、今回紹介した本と類似したテーマについて過去書かれた本として「ライブマーケティング」という良書があります。しかし、この本ではまったく「ライブマーケティング」について触れていません。これは博報堂に何かを期待して両方読んだ人からすると、同じ博報堂の本なのに「ライブ」と「リアル」は何が違うのか? あるいは同じなのか? などと混乱してしまうでしょう。
また、博報堂はブランディングに関しても過去多くの本を出していて、最近では「エンゲージメントリング」という概念をよく紹介しています。しかし、その概念との関係についても何も触れないばかりか、まったく独自のブランディングメソッドを提唱しています。
つまり、過去に博報堂からいくつも出版された似たようなテーマの本と、この本はまったく連携がないため、それぞれの本が勝手なことを言い合っている、という印象を読者に持たせてしまう恐れが少なくないのです。
これではいろいろな本を出しているのに、「博報堂は、こんな概念を大切に考えいて、こういうサービスを広告主に提供したいと思っている」ということが、かえって分かりにくくなります。広告会社のプレゼンテーションで、マーケとクリエイティブの言っていることが互いに関係のないことを言っているため、プレがしらけるということと似ています。企業PRが目的のはずなのに、その目的とは反対の方向に進んでいるように思うのです。
せっかく手間をかけて出版する本なのに、それではもったいないでしょう。
本当は企業の広報なりの部署が、ある程度内容をコントロールするのがいいのかも知れませんが(一種のブランディング!)、現実的には難しいのでしょうか。
「宣伝本」の出版というのも良し悪しなものだ、と今回は思いました。
☆博報堂エクスペリエンスデザイン編「リアルヂカラ」(2008年)弘文堂
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内容は、その会社独自のマーケティング戦略の切り口提案だったり、コンシューマーに関する新しい捉え方の紹介だったりします。会社の名前が入った本である以上は、もちろんその会社のPR活動の一環としての出版ということになるのでしょう。
しかしPR活動だからといって、宣伝臭かったり、独善的なものであったりするとは限りません。過去には非常に優れた、インサイトフルな内容の本がたくさん出版されてきました。例えば私が印象に残っているので言うと、大変古い話ですが、こうした本の先駆けとも言える、今から30年前に出版された博報堂生活総研の「分衆の誕生」「タウンウオッチング」などがその典型です。この本は実は私が広告業界を志望する上で大きな影響を受けた本でもありました。
しかし一方では、あからさまな宣伝目的の本もあるわけです。今は、一定のお金を支払えば出版社から本を出してもらえる時代でもありますから。しばらく前に紹介した電通の「クロスイッチ」という本も、クロスメディア戦略の入門書として優れた本ではありますが、電通のプランニングシステムの紹介本であるという点ではその範疇に入るでしょう。
ただ、いずれにしてもその出版がPR活動であるならば、その本は企業にとっての「自己紹介」「プレゼンテーション」でもあるわけで、クオリティが高ければ評価も高めるし、そうでなければかえって評判を落とすリスクがあるものだと言えます。
今回紹介する「リアルヂカラ」を読んで、私は、正直これはちょっと「リスクのある方」だったのかな、と思ってしまいました。
「リアルヂカラ」というネーミングは秀逸なものです。ちょっと前に流行った「目ヂカラ」という言葉から取ったのでしょうか? これだけバーチャルなものが持てはやされている時代にあえて「リアル」で勝負をかけるという着眼点はいいし、デザイン系の人たちが執筆者ということもあるのか、中身のデザインもクールです。
しかし肝心の内容の方は、たとえ宣伝本だとしても、着眼点がよいだけに、「もう少し頑張って欲しかった」というのが正直な感想です。
まず、考えれば分かる当たり前のことしか書いてないような気がします。例えば、
「そもそも実体験領域の施策は圧倒的な情報力を持っています。空間、音楽、映像、素材など五感を刺激するすべての要素がそこにあります。さらに実体験の場では人的な接触や、同時に体験している人々の反応までもが体験要素となります。実体験領域では、一方向的で限られた時間スペースの中で情報を凝縮して発信するマス宣伝や、モニター画面だけで情報の受発信が行われるインターネット情報とは比較にならないほどの情報が発信され、実体験という形で生活者につよいインパクトを与えています。」(p5)
と、さもすごい発見のような書き方をしていますが、既に誰でも知っていることではないでしょうか? 「実体験」が重要だから、どの企業も店頭を大切にしたり、ショールームを設置したりするわけですよね? 新しい話ではないわけです。むしろこの領域の課題は、「実体験ができる施設」への誘客だったり、そこを情報発信源にした情報の拡散だったりすると思うのですが、この本にはあまりそうした点が触れられていません。おまけに、今日ではインターネットを通じた体験も重要な“実体験”なのだと思いますが、上記ではそれを過小評価するような書き方さえされています。
また、冒頭には「リアルヂカラ」という言葉の定義が次のように記されています。
「『リアルヂカラ』とは、イベント、コンベンション、店舗、ショールームなどブランドと生活者がリアルに接触できるタッチポイントが持っているコミュニケーション力を指している言葉」(p3)
しかし少し突っ込むと、実は最大の「実体験」はそのブランドの使用・利用体験なのではないでしょうか? 例えばそれは次のブランドの購入(リピート購入)に決定的に大きな影響を与えます。ところが、この本では「リアル」が大切だといいつつ、そうしたブランド使用・利用体験についての役割に関する記述が見当たりません。この点は大きな疑問です。
あとは、紹介されている事例も掘り下げ方が不十分かな、とか、最後に載っている自転車の架空のケーススタディに関しては、まったく普通の商品キャンペーンケースと変わらないんじゃないなか、とかいう印象も受けました。この本の帯には建築家の隈研吾氏が顔写真入りで登場し、「この本は建築と広告の境界線上にある。」と言ってますが、隈氏、絶対この本読んでないな、読んでいてこんなコメント出すのだったら、よほど目が節穴か、お金を積まれているかのどちらかに違いない、などと意地悪にも私は思ってしまいました。
と、批判めいたことを書いてしまいましたが、このブログは良いものは良い、良くないものは良くない、というのがモットーですから(あくまで私の視点でですが...)、気分を害された方いらっしゃったらご勘弁ください。。。
さて、最初に書いたテーマ「企業の宣伝本」としてリスクがあるのではないか、ということについてですが、このエントリでこのテーマを書こうと思ったのは、次ことを感じたからでした。
博報堂の場合、今回紹介した本と類似したテーマについて過去書かれた本として「ライブマーケティング」という良書があります。しかし、この本ではまったく「ライブマーケティング」について触れていません。これは博報堂に何かを期待して両方読んだ人からすると、同じ博報堂の本なのに「ライブ」と「リアル」は何が違うのか? あるいは同じなのか? などと混乱してしまうでしょう。
また、博報堂はブランディングに関しても過去多くの本を出していて、最近では「エンゲージメントリング」という概念をよく紹介しています。しかし、その概念との関係についても何も触れないばかりか、まったく独自のブランディングメソッドを提唱しています。
つまり、過去に博報堂からいくつも出版された似たようなテーマの本と、この本はまったく連携がないため、それぞれの本が勝手なことを言い合っている、という印象を読者に持たせてしまう恐れが少なくないのです。
これではいろいろな本を出しているのに、「博報堂は、こんな概念を大切に考えいて、こういうサービスを広告主に提供したいと思っている」ということが、かえって分かりにくくなります。広告会社のプレゼンテーションで、マーケとクリエイティブの言っていることが互いに関係のないことを言っているため、プレがしらけるということと似ています。企業PRが目的のはずなのに、その目的とは反対の方向に進んでいるように思うのです。
せっかく手間をかけて出版する本なのに、それではもったいないでしょう。
本当は企業の広報なりの部署が、ある程度内容をコントロールするのがいいのかも知れませんが(一種のブランディング!)、現実的には難しいのでしょうか。
「宣伝本」の出版というのも良し悪しなものだ、と今回は思いました。
☆博報堂エクスペリエンスデザイン編「リアルヂカラ」(2008年)弘文堂
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