「このままだと広告ビジネスと広告会社は、早く変わらないと破滅することになる。」(P3)
この本の書き出しは、この言葉から始まっています。現役で広告会社に籍を置く人ならば、こういわれて何も心当たりがないという人は、多分いないでしょう。
現在でもなお、大手広告会社は学生の人気就職先の一つであります。多分外側からみれば華やかな仕事に見えているのかもしれません。しかしながら内実を知ってしまうと、その将来性について明るい展望は決して抱けない、というのは事実だと思います。
理由はいくつもあります。
広告市場の成熟化・頭打ち傾向、厳しさを増す広告主によるディスカウント要求、非マスメディア領域の注目に伴う煩雑な業務の増加、慢性的な忙しさ、増えない利益、増えない給与、経費の締め付け傾向、成功しない海外展開、買収のうわさ、Googleなど新たなプレーヤーの登場の一方で取り残されている感じ...etc。
この本は、こうした現状の広告会社・広告ビジネスが持つ限界性を指摘し、「変われ、さもなくば生き残れない!」と叱咤激励するものになっています。
著者の述べるさまざまな問題点の指摘、確かに鋭いと感じるところがいくつもあります。例えば、以下のような指摘。
「10年後、広告会社の80%が消滅する」(p14)
「衰退期に入った広告のライフサイクル」(p18)
広告会社の80%が消滅するというのは現実問題として大げさかもしれませんが、業態が大変革し、M&Aなども含めて今と同じ会社がそのまま継続して残っているケースは少ないだろうという見方には賛成です。その理由は「衰退期に入った広告のライフサイクル」とありますが、従来の広告会社の収益モデルが限界を迎えている、つまり会社経営の根っこのところが弱くなってきている、という点が最も大きいと思います。
従来の広告会社の経営を支えてきた収益モデルとは「コミッション型モデル」であり、それはマス広告の仲介に伴う高額の手数料(メディアコミッション)を収入の柱とするモデルです。広告会社(広告の仲介会社なのでまさに「代理店」)はそれにより高い給与と社会的ステータスを得、またクライアントに対しては、マーケティング戦略その他のフルサービスを無料で提供してきたわけです。
しかしながら、日本のデフレ経済をきっかけに、クライアントが手数料の引き下げ要求を出したり、マスメディア扱いを1つの代理店に集中させることで手数料の引き下げを迫ったりし始めました。それだけではありません。インターネット広告の出現などにより、マス広告の効果の相対的低下が指摘され、出稿自体も減ってきてしまったのです。
つまり、マス広告に依存していたにも関わらず、マス広告出稿減、手数料も減、一方で提供サービスは変化なし。いや、マス広告以外の領域の業務が増えている分、提供サービスは増加しているかもしれません。
ちなみに、それではインターネット広告や非マスメディア領域に注力すればいいではないか? という人がいるかも知れません。しかし、そうした分野は成長分野ではありますが収益性がまだまだ低く、既に高年齢者を含む多大な人員を抱えてしまっている広告会社にとっては、そのマス広告の減少・手数料低下を補えるものではないのです。(中には、ご高齢で高給取りの方をすべて辞めさせれば問題解決、という過激なことを言う人いますが...)
こうした問題点に対して、コミッションではなくて、実際に提供したサービスに対する対価(フィー)に依存する経営に転換するべきだ、という意見がしばらく前からあります。実際には欧米では広告会社のフィービジネスが一般化しています。しかしながら商習慣の異なる日本では、広告主にとって目に見えないサービスに対価を払うことに抵抗があるのか、一向に定着しません。
もっとも、一方でフィーが本当に望ましい結論かどうかということについて、疑問を言う人もいます。
植田氏は、本書で多岐に渡る広告会社が変わるぺきポイント(イノベーション)を提示し、最後に「いま広告会社に残されている最後の行動は、社長の決断だけである。イノベーションを断行するかどうかだ。」(p248)と指摘しています。
広告会社は、いろいろな面で変わる必要があるのは間違いないでしょう。ただ、変革すべきポイントが多すぎて、目眩がしそうになるのもまた事実です。
正直私は、将来を信じながらも、今の広告業界・広告ビジネスについて、多少暗い気持ちを感じざるを得ません。
このテーマはまた取り上げますが、いずれにせよ、この本は現状の問題点が網羅されていて、参考になる一冊だと思います。
☆植田正也「2010年の広告会社」(2006年)日新報道
2010年の広告会社―革新のみが成功を約束する
この本の書き出しは、この言葉から始まっています。現役で広告会社に籍を置く人ならば、こういわれて何も心当たりがないという人は、多分いないでしょう。
現在でもなお、大手広告会社は学生の人気就職先の一つであります。多分外側からみれば華やかな仕事に見えているのかもしれません。しかしながら内実を知ってしまうと、その将来性について明るい展望は決して抱けない、というのは事実だと思います。
理由はいくつもあります。
広告市場の成熟化・頭打ち傾向、厳しさを増す広告主によるディスカウント要求、非マスメディア領域の注目に伴う煩雑な業務の増加、慢性的な忙しさ、増えない利益、増えない給与、経費の締め付け傾向、成功しない海外展開、買収のうわさ、Googleなど新たなプレーヤーの登場の一方で取り残されている感じ...etc。
この本は、こうした現状の広告会社・広告ビジネスが持つ限界性を指摘し、「変われ、さもなくば生き残れない!」と叱咤激励するものになっています。
著者の述べるさまざまな問題点の指摘、確かに鋭いと感じるところがいくつもあります。例えば、以下のような指摘。
「10年後、広告会社の80%が消滅する」(p14)
「衰退期に入った広告のライフサイクル」(p18)
広告会社の80%が消滅するというのは現実問題として大げさかもしれませんが、業態が大変革し、M&Aなども含めて今と同じ会社がそのまま継続して残っているケースは少ないだろうという見方には賛成です。その理由は「衰退期に入った広告のライフサイクル」とありますが、従来の広告会社の収益モデルが限界を迎えている、つまり会社経営の根っこのところが弱くなってきている、という点が最も大きいと思います。
従来の広告会社の経営を支えてきた収益モデルとは「コミッション型モデル」であり、それはマス広告の仲介に伴う高額の手数料(メディアコミッション)を収入の柱とするモデルです。広告会社(広告の仲介会社なのでまさに「代理店」)はそれにより高い給与と社会的ステータスを得、またクライアントに対しては、マーケティング戦略その他のフルサービスを無料で提供してきたわけです。
しかしながら、日本のデフレ経済をきっかけに、クライアントが手数料の引き下げ要求を出したり、マスメディア扱いを1つの代理店に集中させることで手数料の引き下げを迫ったりし始めました。それだけではありません。インターネット広告の出現などにより、マス広告の効果の相対的低下が指摘され、出稿自体も減ってきてしまったのです。
つまり、マス広告に依存していたにも関わらず、マス広告出稿減、手数料も減、一方で提供サービスは変化なし。いや、マス広告以外の領域の業務が増えている分、提供サービスは増加しているかもしれません。
ちなみに、それではインターネット広告や非マスメディア領域に注力すればいいではないか? という人がいるかも知れません。しかし、そうした分野は成長分野ではありますが収益性がまだまだ低く、既に高年齢者を含む多大な人員を抱えてしまっている広告会社にとっては、そのマス広告の減少・手数料低下を補えるものではないのです。(中には、ご高齢で高給取りの方をすべて辞めさせれば問題解決、という過激なことを言う人いますが...)
こうした問題点に対して、コミッションではなくて、実際に提供したサービスに対する対価(フィー)に依存する経営に転換するべきだ、という意見がしばらく前からあります。実際には欧米では広告会社のフィービジネスが一般化しています。しかしながら商習慣の異なる日本では、広告主にとって目に見えないサービスに対価を払うことに抵抗があるのか、一向に定着しません。
もっとも、一方でフィーが本当に望ましい結論かどうかということについて、疑問を言う人もいます。
植田氏は、本書で多岐に渡る広告会社が変わるぺきポイント(イノベーション)を提示し、最後に「いま広告会社に残されている最後の行動は、社長の決断だけである。イノベーションを断行するかどうかだ。」(p248)と指摘しています。
広告会社は、いろいろな面で変わる必要があるのは間違いないでしょう。ただ、変革すべきポイントが多すぎて、目眩がしそうになるのもまた事実です。
正直私は、将来を信じながらも、今の広告業界・広告ビジネスについて、多少暗い気持ちを感じざるを得ません。
このテーマはまた取り上げますが、いずれにせよ、この本は現状の問題点が網羅されていて、参考になる一冊だと思います。
☆植田正也「2010年の広告会社」(2006年)日新報道

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