これはよくできた便利な本です。
 マーケティングについて、「いろんな人がいろんなこと言っているけど、結局みんな何を言っているの?」という疑問を感じたことのある人は、読んだ後に少しはすっきりした気持ちがするはずです。

 「普通の人なら、最新のトレンドや実態を知るために、何百冊もの本や何千本もの論文に目を通し、何百万件ものウェブサイトを覗いてみるなどという暇があるはずもない。ではどの本を読めばよいのか、どの論文なら新しいマーケティングの課題に役立つ見解を提供してくれるのか、インターネットや書店で誰の本を探せばよいのか、ブランド・マネジメントや顧客リレーションシップ・マネジメント、その他の今注目されているマーケティング戦略に関する最高の達人(カリスマ)と言えば誰なのか、達人たちはどんなアドバイスをしているのか、彼らの見解はどのような点で異なり、どのような点で補完しあっているのか。読者が必要としているこうした疑問に答えるガイド――まさにそれが本書である。」(はじめに)

 「世の中にマーケティングの本は溢れてるし、言っていることもバラバラ。これは何とかせねばならん」、と筆者も思ったのでしょうね。考えてみれば結構な労作であり、筆者もある意味もの好きです。とはいえ、筆者は“カリスマ”たちの物言いを多少の皮肉やおちょくりを交えながら紹介しているので、きっと楽しんで書いていたに違いありません。またこうした筆致は、「学史」という往々にして退屈になりがちなテーマを、多少面白く読ませることに貢献しているとも思います。

 さて内容ですが、最初に第1章「マーケティングの未来」と題して、マーケティングの限界や行き詰まりを指摘する多くのカリスマの言葉をまとめています。

 「■マス・マーケティングは死んだ。
  ■マーケティングは事実上終焉した。
  ■マス・マーケティングなどという考えは一切忘れるべきだ――もはや過去の話だ。
  ■ブランド・・・それは無知な人々の逃げ場である。」(p3)
などなど

 こういう物言いの本は多いですが、どうして限界を迎えているのかと言うと、マーケティングという概念が生まれた1960年代に比べ、消費者の行動も消費者を取り巻く環境も複雑化し、戦略上考慮しなければならない要素が激増して、伝統的なフレームではうまく対応できなくなった、ということが大まかな理由のようです。

 例えば、有名な「マーケティングの4P」と言われるものがあります。これは1950年代後半にジェローム・マッカーシーによって、マーケティングミックス上考慮すべき4つの概念――Product(製品)、Place(流通)、Promotion(プロモーション)、Price(価格)、として提唱されたものです。ところが時代が下がるつれて、マーケティングティを語る上で4つのPだけでは不足だとして、何人ものカリスマたちが独自の新しい“P”を付け加え始めました。それが今日まで提唱されているものを勘定すると、全部で16個(!)になるそうです(ちなみに、製品、流通、プロモーション、価格に加え、政策、世論、ポリシー、ペース、パーミション、パラダイム、パスアロング、プラクティス、ターゲット特定能力、説明責任、費用効果、アクセス能力、の16個)。
 
 つまり、現代では4Pではなく「16P」ぐらい考慮しないとマーケティングは正常に機能しないということなのでしょう。確かに「16P」の一つ一つを見ると、それぞれ必要な要素だとは思います。しかし1960年代とは大きく変わった現代を、旧来の4PにいくつPを継ぎ足したからといって、有効なフレームが築けるとは思いません。
 こんなのを見ると、確かにマーケティングの行き詰まりを感じずにはいられません。

 ではこうした、時代の変化の中でのマーケティングの行き詰まり(以降筆者は「P問題」と言っています)を解決する、どんな効果的なパラダイムがあるのか? 第2章以降は、5つの大きな視点でそれに対する偉大なカリスマたちの見解をまとめています。

1.救世主はブランド+ブランド・マネジメント
 まず、2章(救世主はブランド)、3章(救世主はブランド・マネジメント)では、「ブランド」確立によって、マーケティングの抱える今日的な問題が解決できるという主張です。

 「マーケティングのP問題の解決はいたって簡単だ。魅力的なバリュー・プロポジションを開発し、ブランド名から豊かな連想を呼ぶよう工夫し、ターゲット顧客の管理するあらゆるブランド・コンタクトがブランドのポジショニングにふさわしく、それを支えるものとなるよう管理していけばよい。これで魔法のようにP問題は解決するはずだ。」(p113)

 さらに、ここに複数ブランドを管理するブランドポートフォリオの概念を入れるとより強力になる、ということでブランドマネジメントの考え方が紹介されます。

 しかし、別の主張をするグループがあると著者はいいます。確かに「ブランド確立」ですべて解決できれば、ブランドブームは終わらなかったですよね。

2.救世主は顧客リレーションシップ

 「ブランドが重要だということは誰もが認めている。だが、マーケティングの専門家たちのなかには、かねてから、ブランドよりさらに大切なものがあると声高に主張するグループがいた。 『もっと重要なのは顧客リレーションシップだ』(p149)

 というわけで次の章、「救世主は顧客リレーションシップ」ではCRMの主張です。

 「顧客を特定し、価値に応じて差別化し、インタラクションを作り上げて、『シームレスな顧客体験』を含む最適な選択肢を提供するために提供物をカスタマイズする。これがCRMだと達人たちは言う。これを実践すれば、末永く顧客を維持することができるだろう。そして、長い付き合いのなかで、顧客たちは企業が最新の注意を払って作り上げた関係に、購買行動と利益で報いてくれるだろう。第1章から延々論じて来た厄介なP問題など、もはやどうということもない小さな悩みに見えてくるだろう。」(p204)

 ところが、さらに筆者は「本当に必要なのは、ブランド構築やCRMを超える何かだ、と主張する一団がいる」と言います。確かに、CRMをやるといってもシステム構築に目を奪われて本質が見失しなわれてしまうケースも多いと聞きますからね。

3.救世主はカスタマー・エクイティ
 そこで登場するのが「カスタマー・エクイティ」という主張です。
 第5章「救世主はカスタマー・エクイティ」では、顧客を資産として捉え(工場などの生産設備と同様に)、彼らを適切に分類してバランスよく投資をすることにより、資産(エクイティ)を最大化する視点と、彼らへの投資最適化のための数式が紹介されます。

 と、ここまで読むとマーケティングは、確かに重要そうだけど難解で精緻な領域に来たなぁという印象を抱いてしまうのですが(私は)、筆者は最後にちょっとガクッと来る主張を紹介しています。
 いやいやそんな難しいことやっても現実にはうまく適応させられないし行き詰るだけだ、と主張するグループです。

4.救世主はバズ

 「世界を一組の方程式で表すことができればどんなによいかと思うかもしれないが、どだい無理な話である。現実は数式で表すにはあまりにもリアルだからだ。では、われわれはどうすればよいのだろうか。スプレッドシートを投げ出し、町に出て、昔ながらのマーケティングに徹するべきだと主張する達人たちもいる。マーケティングのP問題の救済策は、ブランド構築やリレーションシップといった、これまで見てきたような手の込んだものではなく、『バズ』つまりクチコミに毛がはえたようなものだ、と彼らはいう。」(p257)

 ぐるっと一周してきてプリミティブなものに戻ってきてしまった感じですが、最後の章では「救世主はバズ」としてクチコミの可能性について紹介しています。

 クチコミに方法論があるかどうかというのは怪しいのですが、クチコミ現象の中核にいる「コネクター(インフルエンサー)」の役割などについて説明するカリスマたちの主張などを紹介しています。

 ここまで説明して筆者は最初の問い――ここまで紹介してきた方法の中で、マーケティングの未来を担う方法は何なのか? ということについて「読者のみなさんはどうお考えだろうか?」(p301)と問いかけます。
 もちろん正解はないし、時と場合による方法論の使い分け、複数の主張のミックスなどが、現実的な線だとは思います。当然、一人ひとりが自分の直面する課題の中で、自分なりの「答え」を模索していくということですね。
 
 とはいえ、お手軽に「マーケティング」に対する視野を広めさせてくれ、自分なりの「マーケティングの行き詰まり」への解答を模索していくヒントをくれる、という意味では、有意義であり読んで損はありません。


☆ジョゼフ・ボイエット、ジミー・ボイエット著、恩蔵直人監訳、中川治子訳「カリスマに学ぶマーケティング」(2004年)日本経済新聞社

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