このブログでも何回か述べてきたことですが、マーケティングにおいては「消費者を理解する」ことの重要性が常に説かれます。同時に、消費者を理解することの難しさと限界もしばしば語られます。だからこそ、マーケティングに携わっている人たちは、さまざまな方法・視点を取り入れて「消費者理解」の高みへと到達しようとして来たわけです。
例えば、以前紹介した「心脳マーケティング」という本の中では、「無意識」に焦点を当て、独特の消費者リサーチ方を導入することで消費者をより「正しく」把握しようとしていました。定性調査を重視した「コンシューマーインサイト」発見の重要性も浸透してきています。
こうした中において筆者の立てた問いは、では、マーケティングの最新の考え方では「消費者理解」に対して、どんな方法で取り組み、どこまでわかるようになっているのか? ということでした。
この本は、マーケティングや消費者理解に関心のある人だったら誰もが感じるこうした疑問に対して、さまざまなケースを取り上げながら、自らの疑問を解きほぐすように、一つ一つ答えていったものです。取り上げているテーマも、消費者リサーチにとどまらず、需要予測、「ブーム」の問題、プライシングの心理、CRMなど多岐に渡り、それを心理学、社会学、経済学、果ては大脳生理学やネットワーク理論、あるいは複雑系理論の知見を紹介しながら、「消費者理解についての今」について説明しています。事例も豊富(海外事例から江戸時代のエピソードまで! 筆者の博識ぶりに驚かされます)で文章も平易なので、とても興味深くがわかるのではないかと思います。何より、筆者自身が疑問に思っていることを自ら解いていく、という姿勢が全体を貫かれ、筆者の目線で考えていけることが、難しくなりがちなことをわかりやすくみせています。
筆者のルディー和子氏は、最近出版された「ポストモダン・マーケティング」、あるいは「五感刺激のブランド戦略」など、マーケティングの新しい、でもちょっと辺縁に属するような本の翻訳を手がけてらっしゃる方で、この本の中身にもそれらの本の影響がうかがえます。
さて、では筆者の立てた問いに戻ると、最新の「消費者理解」というものはどこまで行っているのでしょうか?
私自身印象に残った2つの話題から説明したいと思います。「ニューコークの導入失敗事例への誤解」と「情報のカスケード」という話題です。
1.ニューコークの失敗はブランド軽視ではなかった?
1985年のニューコーク導入事例は、たぶん最も有名なマーケティングの失敗事例だと思います。通常この失敗は、商品の味覚よりも消費者の心の中にあるブランドの方が大切だ、というブランドの重要性を語る文脈で取り上げられます。しかし真の失敗理由はそこにはないと筆者は説明します。
「ニューコークは最初から評判が良くなかったような印象を受けますが、実際には、ニューコークが4月23日に発売されたとき、最初の頃は、消費者の評判はおおむね良いものでした。コカ・コーラは過去10年間毎週900人の消費者サンプルの調査を長年続けていたのですが、その調査結果も『ニューコークを飲んでみた。好きだった。また試してみたい』というものでした。コークに対する消費者調査を長年続けている第三者調査機関の5月の調査を見ても、コークのブランドイメージは過去数年間で初めてペプシのイメージを上回る快挙を成し遂げています。」(p33-34)
「コークの熱狂的だったファンが不満を声にしたことは確かです。(中略)こういった不満は時間がたてば沈静化していくだろうとコカ・コーラの経営陣は考えていました。予測できなかったのは、メディアの動きと、そのメディアに影響を受けた一般消費者の動きでした。熱狂的ファンが古いコークを探そうと四苦八苦する有様をメディアが大々的に取り上げ、それが、それまでクラシックコークが市場から消えることにさして反対しているようには思えなかった一般消費者を巻き込む形になり、騒ぎが大きくなりました。そして、大きくなった騒ぎをまたメディアがトップニュースで取り上げるといった形で、6月にはクラシックコーク再発売を求める運動が全国的に広がってきたのです。」(p34)
長くなりましたが、面白い話なのでもっと引用します。
「ニューコークが発売されたとき、最初、人々は自分の意見を他人には関係なく独立して決定して、ニューコークはOKだと大半が考え、不満があるひとの多くも黙って企業のすることに従ったのです。ところが、時間が経過するとともに、熱狂的なファンの声を報道するメディアや、また、怒り狂ったコークファンとの交流に刺激されて、大半が自分の意見を変えたのです。」「ニューコークが発売された最初の頃、特に若い世代の消費者からの反応は非常に良かった。調査では、十代の子供たちの75%が新しいコークの味が好きだと答えたんです。ところが、時間がたつとともに、大人たちに影響されて否定的な態度を取るようになったのです。」(p34)
う〜ん、つまり、失敗の原因は味でも、ブランドへのこだわりとも言えず、メディアにあおられて人々が熱狂して、そのまま大きな声になってしまったこと、だというわけです。
ロングセラー商品が時代に合わせて味覚を少しずつ変えることはよく行われることです。コカコーラも黙って味覚を少しずつ変えていたならば、今頃は世界中のコカコーラがニューコークの味になっていた可能性もあるわけですが、そういう選択はせず、最初から大々的なニュースにしてしまったことが反応を引き起こした原因として大きかったのかもしれません。
とはいえ、よく考えらればこうしたことは身近でも頻繁に起きます。企業の不祥事で極端な買い控えが起こるのが典型ですね。中身をよく知らなくても、メディアで煽られてムードで動いてしまうこと、よくあります。先日の衆院選挙での自民党の圧勝なども似た現象かもしれません。
経済学では、こうした現象を「情報のカスケード(情報の雪崩現象)」と呼ぶそうです。
2.情報のカスケード
いわゆる「ブーム」のことだと思えばいいのだと思いますが、もう一つ面白い事例が取り上げられています。1958年秋に大流行した「フラフープ」です。
「大丸百貨店のオモチャ売り場の担当者が、アメリカで流行っていると聞いて、日本でも売れるのではないかと話題づくりの仕掛けをしました。若い女性を集めて一週間かけて特訓し、その成果をマスコミも呼んで大々的に披露。翌朝の新聞にミニスカート姿の女性が腰を振る姿が掲載され、それをきっかけに爆発的にヒットしました。生産していた(中略)工場側は、アメリカの場合を参考にどれくらいブームが続くかを冷静に考え、最低三か月と予測しました。しかし、腰を動かしすぎて体調を崩す子供や、道路で遊んでいて交通事故にあう子供がニュースで報道され、三か月という予想よりも早く、実質一か月半でブームは終わってしまいました。倉庫には返品の山。」(p135)
なんとあれほど有名なフラフープも、ブームはたった一か月半だったそうです。
こうした現象、つまり「他の人たちがある商品を買っているというだけの理由で、多くの人たちがその商品を買おうという現象」(p141)が、「情報のカスケード」と呼ばれるわけです。商品固有のずば抜けた特質があったというよりも、人気である、ということがより多くの人気・成功を呼ぶ、というわけです。
こうしたこと、商品の機能も横並び、広告なども変わり映えしないと言われ、商品のライフサイクルがますます短くなっている現代消費社会を支える消費者像を考える上で示唆に富んでいます。
情報のカスケードの発生は、ちょっとした「偶然」に支配されるということのようです。小さな偶然が積み重なり、マスコミで拡大されることで大きなうねりになっていく。こうした現象を引き起こしている消費者は、心理的にどうだ、社会学的にどうだ、ということはなく、単純に周りを見ながら周りに影響されて行動している消費者像に他なりません。
そしてこうした、「単純で、周りを意識する消費者」像が、実は最新のネットワーク理論や複雑系理論から導き出される像だ、筆者は紹介しています。
最新のマーケティングによる消費者理解はどんなもんだ、という入り口から入って、消費者は周りに流されやすい想像以上に単純ででたらめな存在だ、という結論にたどり着きました。
となると、さまざまな学問的見地から「消費者の真の姿」を理解しようとする真摯な試みは良しとすべきですが、結局はそんなことをしても、消費者を動かすのに結びつかないのかも...ということになります。むしろ、流す情報が偶然を重ねて、マスコミにも取り上げられて、なんとなく話題になっていく、という動きを作る方が有益かもしれません。
もちろん、実務的にはそっちの方も難しいわけですが、この本には、そのために誰に最初に情報を流すのがいいのか、などということも少しだけ書いてあります。
考えてみればそうかなと思うことですが、ある意味新しい視点です。消費者を理解しようと努力したけど、なんとなく壁に当たっているような人、視点を変える意味で読むと面白いと思います。
☆ルディー和子著「マーケティングは消費者に勝てるか?」(2005年)ダイヤモンド社
マーケティングは消費者に勝てるか
例えば、以前紹介した「心脳マーケティング」という本の中では、「無意識」に焦点を当て、独特の消費者リサーチ方を導入することで消費者をより「正しく」把握しようとしていました。定性調査を重視した「コンシューマーインサイト」発見の重要性も浸透してきています。
こうした中において筆者の立てた問いは、では、マーケティングの最新の考え方では「消費者理解」に対して、どんな方法で取り組み、どこまでわかるようになっているのか? ということでした。
この本は、マーケティングや消費者理解に関心のある人だったら誰もが感じるこうした疑問に対して、さまざまなケースを取り上げながら、自らの疑問を解きほぐすように、一つ一つ答えていったものです。取り上げているテーマも、消費者リサーチにとどまらず、需要予測、「ブーム」の問題、プライシングの心理、CRMなど多岐に渡り、それを心理学、社会学、経済学、果ては大脳生理学やネットワーク理論、あるいは複雑系理論の知見を紹介しながら、「消費者理解についての今」について説明しています。事例も豊富(海外事例から江戸時代のエピソードまで! 筆者の博識ぶりに驚かされます)で文章も平易なので、とても興味深くがわかるのではないかと思います。何より、筆者自身が疑問に思っていることを自ら解いていく、という姿勢が全体を貫かれ、筆者の目線で考えていけることが、難しくなりがちなことをわかりやすくみせています。
筆者のルディー和子氏は、最近出版された「ポストモダン・マーケティング」、あるいは「五感刺激のブランド戦略」など、マーケティングの新しい、でもちょっと辺縁に属するような本の翻訳を手がけてらっしゃる方で、この本の中身にもそれらの本の影響がうかがえます。
さて、では筆者の立てた問いに戻ると、最新の「消費者理解」というものはどこまで行っているのでしょうか?
私自身印象に残った2つの話題から説明したいと思います。「ニューコークの導入失敗事例への誤解」と「情報のカスケード」という話題です。
1.ニューコークの失敗はブランド軽視ではなかった?
1985年のニューコーク導入事例は、たぶん最も有名なマーケティングの失敗事例だと思います。通常この失敗は、商品の味覚よりも消費者の心の中にあるブランドの方が大切だ、というブランドの重要性を語る文脈で取り上げられます。しかし真の失敗理由はそこにはないと筆者は説明します。
「ニューコークは最初から評判が良くなかったような印象を受けますが、実際には、ニューコークが4月23日に発売されたとき、最初の頃は、消費者の評判はおおむね良いものでした。コカ・コーラは過去10年間毎週900人の消費者サンプルの調査を長年続けていたのですが、その調査結果も『ニューコークを飲んでみた。好きだった。また試してみたい』というものでした。コークに対する消費者調査を長年続けている第三者調査機関の5月の調査を見ても、コークのブランドイメージは過去数年間で初めてペプシのイメージを上回る快挙を成し遂げています。」(p33-34)
「コークの熱狂的だったファンが不満を声にしたことは確かです。(中略)こういった不満は時間がたてば沈静化していくだろうとコカ・コーラの経営陣は考えていました。予測できなかったのは、メディアの動きと、そのメディアに影響を受けた一般消費者の動きでした。熱狂的ファンが古いコークを探そうと四苦八苦する有様をメディアが大々的に取り上げ、それが、それまでクラシックコークが市場から消えることにさして反対しているようには思えなかった一般消費者を巻き込む形になり、騒ぎが大きくなりました。そして、大きくなった騒ぎをまたメディアがトップニュースで取り上げるといった形で、6月にはクラシックコーク再発売を求める運動が全国的に広がってきたのです。」(p34)
長くなりましたが、面白い話なのでもっと引用します。
「ニューコークが発売されたとき、最初、人々は自分の意見を他人には関係なく独立して決定して、ニューコークはOKだと大半が考え、不満があるひとの多くも黙って企業のすることに従ったのです。ところが、時間が経過するとともに、熱狂的なファンの声を報道するメディアや、また、怒り狂ったコークファンとの交流に刺激されて、大半が自分の意見を変えたのです。」「ニューコークが発売された最初の頃、特に若い世代の消費者からの反応は非常に良かった。調査では、十代の子供たちの75%が新しいコークの味が好きだと答えたんです。ところが、時間がたつとともに、大人たちに影響されて否定的な態度を取るようになったのです。」(p34)
う〜ん、つまり、失敗の原因は味でも、ブランドへのこだわりとも言えず、メディアにあおられて人々が熱狂して、そのまま大きな声になってしまったこと、だというわけです。
ロングセラー商品が時代に合わせて味覚を少しずつ変えることはよく行われることです。コカコーラも黙って味覚を少しずつ変えていたならば、今頃は世界中のコカコーラがニューコークの味になっていた可能性もあるわけですが、そういう選択はせず、最初から大々的なニュースにしてしまったことが反応を引き起こした原因として大きかったのかもしれません。
とはいえ、よく考えらればこうしたことは身近でも頻繁に起きます。企業の不祥事で極端な買い控えが起こるのが典型ですね。中身をよく知らなくても、メディアで煽られてムードで動いてしまうこと、よくあります。先日の衆院選挙での自民党の圧勝なども似た現象かもしれません。
経済学では、こうした現象を「情報のカスケード(情報の雪崩現象)」と呼ぶそうです。
2.情報のカスケード
いわゆる「ブーム」のことだと思えばいいのだと思いますが、もう一つ面白い事例が取り上げられています。1958年秋に大流行した「フラフープ」です。
「大丸百貨店のオモチャ売り場の担当者が、アメリカで流行っていると聞いて、日本でも売れるのではないかと話題づくりの仕掛けをしました。若い女性を集めて一週間かけて特訓し、その成果をマスコミも呼んで大々的に披露。翌朝の新聞にミニスカート姿の女性が腰を振る姿が掲載され、それをきっかけに爆発的にヒットしました。生産していた(中略)工場側は、アメリカの場合を参考にどれくらいブームが続くかを冷静に考え、最低三か月と予測しました。しかし、腰を動かしすぎて体調を崩す子供や、道路で遊んでいて交通事故にあう子供がニュースで報道され、三か月という予想よりも早く、実質一か月半でブームは終わってしまいました。倉庫には返品の山。」(p135)
なんとあれほど有名なフラフープも、ブームはたった一か月半だったそうです。
こうした現象、つまり「他の人たちがある商品を買っているというだけの理由で、多くの人たちがその商品を買おうという現象」(p141)が、「情報のカスケード」と呼ばれるわけです。商品固有のずば抜けた特質があったというよりも、人気である、ということがより多くの人気・成功を呼ぶ、というわけです。
こうしたこと、商品の機能も横並び、広告なども変わり映えしないと言われ、商品のライフサイクルがますます短くなっている現代消費社会を支える消費者像を考える上で示唆に富んでいます。
情報のカスケードの発生は、ちょっとした「偶然」に支配されるということのようです。小さな偶然が積み重なり、マスコミで拡大されることで大きなうねりになっていく。こうした現象を引き起こしている消費者は、心理的にどうだ、社会学的にどうだ、ということはなく、単純に周りを見ながら周りに影響されて行動している消費者像に他なりません。
そしてこうした、「単純で、周りを意識する消費者」像が、実は最新のネットワーク理論や複雑系理論から導き出される像だ、筆者は紹介しています。
最新のマーケティングによる消費者理解はどんなもんだ、という入り口から入って、消費者は周りに流されやすい想像以上に単純ででたらめな存在だ、という結論にたどり着きました。
となると、さまざまな学問的見地から「消費者の真の姿」を理解しようとする真摯な試みは良しとすべきですが、結局はそんなことをしても、消費者を動かすのに結びつかないのかも...ということになります。むしろ、流す情報が偶然を重ねて、マスコミにも取り上げられて、なんとなく話題になっていく、という動きを作る方が有益かもしれません。
もちろん、実務的にはそっちの方も難しいわけですが、この本には、そのために誰に最初に情報を流すのがいいのか、などということも少しだけ書いてあります。
考えてみればそうかなと思うことですが、ある意味新しい視点です。消費者を理解しようと努力したけど、なんとなく壁に当たっているような人、視点を変える意味で読むと面白いと思います。
☆ルディー和子著「マーケティングは消費者に勝てるか?」(2005年)ダイヤモンド社
マーケティングは消費者に勝てるか
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