広告代理業は、構造不況に突入したと言う人がいます。なぜかというと、広告業を長く支えてきた「コミッションビジネス」が、現在曲がり角を迎えているからです。
よくご存じない方に説明すると、現在もそうですが広告会社の収益の主要部分は、広告主のテレビや新聞などへの出稿に対して発生する、一定のコミッション(仲介手数料)から成立っています。コマーシャルの制作やイベントなどは派手ですが、それによる収益は、実はそれほど広告会社の経営に寄与していません。このコミッション率ですが、長らく15%程度が相場とされてきました(この仕組みを確立した人が、電通鬼十則を作った有名な電通4代目社長吉田秀雄氏といわれています)。
ところが最近のデフレ傾向の中で、広告主からのコミッションの引き下げ要求、または広告価格引き下げを意図したメディア扱いの競合コンペ(ほとんど合見積り)がとても増えています。すると代理店はアカウント(売上げ)を維持するために、コミッションを削らなければなりません。これは広告業界も安売り競争に巻き込まれているということなのですが、普通のメーカーならここで仕入れを見直したり、中国などで安く生産して対応するわけですが、広告会社の場合、仕入れるメディア、特にテレビ広告枠などが規制によって縛られているため、安値での仕入れが構造上難しくなっています。つまり広告代理店は安く買い叩かれているのに、安値の仕入れが叶わず、利益を低下させざるを得ない、という立場に置かれているわけです。
これは広告代理店の将来にとって大変な問題です。コミッションビジネスといえば、商社なども行き詰ってビジネスモデルをここ数年の間に大きく変革しましたね。広告業界でも、同じような変革が求められているのです。
前置きが長くなりましたが、その変革の一つの方向性、すなわち広告代理店にとっての今後の有力な収益源と考えられているのが、今回紹介の本のテーマ「コンテンツ」ビジネスなのです。
「コンテンツ」はいろいろな定義があるようですが、音楽、映画、テレビ番組、劇、漫画、アニメ、そして「スポーツコンテンツ」と呼ばれるオリンピック、ワールドカップなどのスポーツイベントなどをイメージしてもらえばいいと思います。内容それ自身に価値があり、さまざまなメディア(放送、DVD、インターネットなど)に加工して消費者の手元に届けることが出来る、という特徴を持ちます。特にデジタル化されたコンテンツを「デジタルコンテンツ」という言い方をしますね。言うまでもなく、ヒットすることにより相当大きな経済的価値を生み出します。日本のアニメや「おしん」などのテレビ番組が海外でヒットしていますが、日本はコンテンツの輸入大国でもあり、輸出大国でもあります。
ここで広告代理店は、コンテンツの制作に関与し出資分に応じてリターンを受け取ったり、版権を所有し商品化などにより得た利益の中から版権収入を得たり、テレビ番組化してスポンサーを募ったりすることで、コンテンツをお金に換えていくわけです。実際、この領域は大手各代理店とも既に注力していて、電通は主要大型スポーツイベントの権利を押さえてたりしてますし(例えば世界陸上)、博報堂(博報堂DYメディアパートナーズ)では、Jリーグのスポンサーシップの販売権を押さえたり、「世界の中心で愛を叫ぶ」などの映画ビジネスに力を入れたりしています。
さらに前置きが長くなってしまいました。肝心の本の中身については、私は今の代理店の置かれている立場に対する問題意識が背景にあったものですから、かなり期待して読んだのですが、正直言って少々物足りない感じでした。今まで「コンテンツ」のマーケティングを正面から取り上げた本はなかったという意味では価値ある一冊ですし、一応コンテンツに関して全体を網羅しているのだと思います。しかしコンテンツというものは、原作者、プロデューサー、商品化をする人、受け手である消費者などの立場によって、取り組む姿勢や見方がまるで変わってきます。そのへんの立ち位置が総花的に感じられ、やや散漫な印象を受けました。
またユニークな視点として、コンテンツを「物語論」から捉える試みがなされていますが、必ずしも成功しているとは思えません。ここも原作者、プロデューサー、消費者のどの立場から見ているのかが曖昧だからのような気がします。
全体を通じて、広告代理店に勤務する立場からいうと、コンテンツを活用して付加価値を生み出すビジネスの視点がもっと読みたい感じでした。また、前回「経験経済」という本を紹介しましたが、コンテンツを「経済的価値を生み出す消費者の経験(体験)」という視点で捉えたりすると、ビジネスの視点と消費者の視点を統合できて面白いのではないかなぁ、とも思いました。
☆新井範子、福田敏彦、山川悟「コンテンツマーケティング」(2004年)同文舘出版
コンテンツマーケティング―物語型商品の市場法則を探る
よくご存じない方に説明すると、現在もそうですが広告会社の収益の主要部分は、広告主のテレビや新聞などへの出稿に対して発生する、一定のコミッション(仲介手数料)から成立っています。コマーシャルの制作やイベントなどは派手ですが、それによる収益は、実はそれほど広告会社の経営に寄与していません。このコミッション率ですが、長らく15%程度が相場とされてきました(この仕組みを確立した人が、電通鬼十則を作った有名な電通4代目社長吉田秀雄氏といわれています)。
ところが最近のデフレ傾向の中で、広告主からのコミッションの引き下げ要求、または広告価格引き下げを意図したメディア扱いの競合コンペ(ほとんど合見積り)がとても増えています。すると代理店はアカウント(売上げ)を維持するために、コミッションを削らなければなりません。これは広告業界も安売り競争に巻き込まれているということなのですが、普通のメーカーならここで仕入れを見直したり、中国などで安く生産して対応するわけですが、広告会社の場合、仕入れるメディア、特にテレビ広告枠などが規制によって縛られているため、安値での仕入れが構造上難しくなっています。つまり広告代理店は安く買い叩かれているのに、安値の仕入れが叶わず、利益を低下させざるを得ない、という立場に置かれているわけです。
これは広告代理店の将来にとって大変な問題です。コミッションビジネスといえば、商社なども行き詰ってビジネスモデルをここ数年の間に大きく変革しましたね。広告業界でも、同じような変革が求められているのです。
前置きが長くなりましたが、その変革の一つの方向性、すなわち広告代理店にとっての今後の有力な収益源と考えられているのが、今回紹介の本のテーマ「コンテンツ」ビジネスなのです。
「コンテンツ」はいろいろな定義があるようですが、音楽、映画、テレビ番組、劇、漫画、アニメ、そして「スポーツコンテンツ」と呼ばれるオリンピック、ワールドカップなどのスポーツイベントなどをイメージしてもらえばいいと思います。内容それ自身に価値があり、さまざまなメディア(放送、DVD、インターネットなど)に加工して消費者の手元に届けることが出来る、という特徴を持ちます。特にデジタル化されたコンテンツを「デジタルコンテンツ」という言い方をしますね。言うまでもなく、ヒットすることにより相当大きな経済的価値を生み出します。日本のアニメや「おしん」などのテレビ番組が海外でヒットしていますが、日本はコンテンツの輸入大国でもあり、輸出大国でもあります。
ここで広告代理店は、コンテンツの制作に関与し出資分に応じてリターンを受け取ったり、版権を所有し商品化などにより得た利益の中から版権収入を得たり、テレビ番組化してスポンサーを募ったりすることで、コンテンツをお金に換えていくわけです。実際、この領域は大手各代理店とも既に注力していて、電通は主要大型スポーツイベントの権利を押さえてたりしてますし(例えば世界陸上)、博報堂(博報堂DYメディアパートナーズ)では、Jリーグのスポンサーシップの販売権を押さえたり、「世界の中心で愛を叫ぶ」などの映画ビジネスに力を入れたりしています。
さらに前置きが長くなってしまいました。肝心の本の中身については、私は今の代理店の置かれている立場に対する問題意識が背景にあったものですから、かなり期待して読んだのですが、正直言って少々物足りない感じでした。今まで「コンテンツ」のマーケティングを正面から取り上げた本はなかったという意味では価値ある一冊ですし、一応コンテンツに関して全体を網羅しているのだと思います。しかしコンテンツというものは、原作者、プロデューサー、商品化をする人、受け手である消費者などの立場によって、取り組む姿勢や見方がまるで変わってきます。そのへんの立ち位置が総花的に感じられ、やや散漫な印象を受けました。
またユニークな視点として、コンテンツを「物語論」から捉える試みがなされていますが、必ずしも成功しているとは思えません。ここも原作者、プロデューサー、消費者のどの立場から見ているのかが曖昧だからのような気がします。
全体を通じて、広告代理店に勤務する立場からいうと、コンテンツを活用して付加価値を生み出すビジネスの視点がもっと読みたい感じでした。また、前回「経験経済」という本を紹介しましたが、コンテンツを「経済的価値を生み出す消費者の経験(体験)」という視点で捉えたりすると、ビジネスの視点と消費者の視点を統合できて面白いのではないかなぁ、とも思いました。
☆新井範子、福田敏彦、山川悟「コンテンツマーケティング」(2004年)同文舘出版
コンテンツマーケティング―物語型商品の市場法則を探る
コメント
コメント一覧 (5)
このコンテンツ、広告会社が携わってるのは日本くらいですよね。各専門分野を子会社化したり買収したりしてグループ化している外資とはかなり取り組み方が違うよなあ、と感じてます。
最近では日本の大手広告会社もかなりフィー制を受け入れてきていて、一部擬似コミッション的なものもありますが、ちゃんとした形(拘束時間ベース)で対応してものもあるようです。
個人的には、今後日本の広告会社は、(博報堂DYのように)メディア部門が独立し、それ以外はフィービジネスに徐々に移っていかざるを得ないんじゃないか、と思ってます。
でもって、その上でコンテンツ部門は「売り物を作り出す」ところとして、メーカーのR&Dのような部門的な扱いになり得るんじゃないかなあ、と。
今後ともよろしくお願いします。
おっしゃるとおり外資は分業していますから、コンテンツビジネスはグループ企業がやっている場合が多いですね。
フィー制については、欧米では定着したようですが、日本ではなかなか難しいようです。広告主さんは長いこと高いコミッションを払うことで、広告会社の厚いサービスを無料のものかのごとく享受して来ました。コミッションを落としたからといって、今まで無料だったサービスに対価を払う気にはなれないようです。広告会社もそういう広告主に楯突いてアカウントを失うリスクを犯そうとは思っていないので、結局は我慢するわけです。結果として経費(人件費など)に手をつけることになり、ご存知かも知れませんが、大手の代理店には最近一般社員と同じ仕事をするが待遇が悪い「派遣」「契約」社員が激増するようなことが起こっているわけです。
良い方向に向かってるとは思えませんが。。。
・ちゃんとしたブリーフ/オリエンを作成し、的確に広告会社に対して指示・判断できるような組織でないと効果が出ない、という広告主側のレベルが問われるものである(=「取り合えずなんか面白いのお願い」というようなことができなくなる)ことに対する拒否感
・プロジェクト・ブランドとは関係なく媒体のバイイングを各広告会社に割り振っているため、フィー制にしてしまうと、プロジェクト・ブランドの割に媒体の扱いが多い広告会社からの強烈な抵抗がでる
というあたりなんじゃないかな、と感じてます。
ここ、書き込みできる文字数が限られてるのであまり書けませんが、クライアント側の二極化がおき、そのきっかけはセントラルバイイングを導入するか否か、じゃないかとも思ったりしてます。
2極化、ということでは、メディアマージンの値引きに成功してもきちんとしたインセンティブを与えることで代理店をうまく使いこなせる広告主と、知らないうちに優秀な人材を外されたりして広告のクオリティが低下させられてしまう広告主の2つに分かれるでしょうね。
もっとも、旧態依然の広告主さんもいらっしゃって、そういうお客さんはそれとして大切なお客さんではありますが。
でも多くの広告主が、高いクオリティにはそれなりの対価ということに気づくまでに、代理店は機能を維持できるのか?というのが、正直言って苦しいような感じがするのですよね。。。
「だったら別にブランド部分はタグボートとか風とロックとかにお願いして、メディアのバイイングだけエージェンシーに任せちゃえばいいんじゃない?」ということに気がつきかねない(笑)。