ポスト「ブランド」として、2000年前後からさまざまに登場したマーケティングのコンセプトの中でも、「経験(または体験)」をキーワードにしたものは、私はとても「筋のいい」ものだと思っています。ただ一時はプチブーム化しましたが、英語"Experience"という言葉の訳語の混乱――同じ言葉が日本では「経験」「体験」「エクスペリエンス」「経験価値(!)」などと幾通りにも訳されてしまいました――や、「経験」という概念のバラバラな捉えられ方などがあって、その後は何となく下火になってしまいました。少し残念な話です。

 この「経験経済」(原題The Experience Economy)という本は、日本での「経験」ブームの先駆けとなった本でした。もともと2000年に電通により訳され、流通科学大学出版から出版されたものでしたが、出版社が廃業し増刷もできなくなったということで、この度内容・構成に手も入れられ新たな体裁で再発刊されました。

 この本はマーケティングにおける「経験」という概念について、非常に本質的な議論を展開している部分があり、それがこの本の最大の価値であり魅力です。
 それを2つの点にまとめてみました。

.機璽咼垢茲衂娉嘆礎佑旅發し从儔礎佑あり、それが「経験」である。

 「サービスを買うときは、自分のために行われる形のない一連の活動に対価を支払っている。経験を買うときは、思い出に残るイベントを楽しむ時間にお金を払っている。」(p12)

 非常にシンプルですが、経験とは何かということを端的に語っています。人はなぜ「高いお金を出して」劇団四季のミュージカルに行くのか? ディズニーランドに行くのか? ぎゅうぎゅう詰めの愛知万博に行くのか? 不便な思いをしてキャンプに行くのか? 海外旅行に行くのか? そしてそこでくだらないお土産にびっくりするほど高いお金を出しても平気なのか?...etc。それは、その人にとって特別な時間や体感を求めるからに他ありません。それが付加価値性の根源であり、「経験」だということです。
 有名な例で、コーヒー豆の経済価値の議論があります。コーヒー豆が産地で取引される際の価格は1杯当り1〜2セントです(コモディティとしてのコーヒー)。それが製品化されスーパーで売られれば1杯当り5〜25セントになります(製品としてのコーヒー)。その豆を使って普通のレストランや街角の喫茶店では1杯50セント〜1ドルになります(サービスとしてのコーヒー)。しかし同じ豆でもスターバックスや高級ホテルでは、1杯につき顧客は2ドル〜5ドル支払っても平気だ、というのです(経験としてのコーヒー)。つまり、企業は扱い方一つで、同じコーヒーをどんな形でも提供できる、ということです。もちろん、経験としてのコーヒーを提供すると決めた場合、コーヒーだけでなく特別な時間や体感を顧客に提供する必要があるわけです。まさにスターバックスの店作りのコンセプトのように。

経験を作り出すことが、マーケティングだ!

 「経験」の議論をする時、必ず出てくる批判があります。――それって、遊園地やレストラン、ホテル、飛行機など「体験型」の商品のことだろ、一般の消費財ではやりようがないよ...、というものです。
 しかし、著者はそういう指摘を見越して、こんな提案をしています。

 「では、メーカーは何をすべきか。(中略)まずは、顧客が製品を使用する過程で遭遇する経験に焦点を当てるべきだ。工業デザイナーは、製品自体の内部のメカニズムを重視して、『製品がどう動くか』に注目しがちだ。そうではなくて、ユーザー一人ひとりがその製品をどう使うかに注目したら、どうだろうか。メーカーの関心をユーザーにシフトし、その人が製品を使用しているとき、つまり『ING化(進行形)』された状態での心の動きに注目してみるのだ。」(p34)

 こうした主張は、ホルブルックなどによる「消費経験論」と共通する非常にベーシックなものですが、それを経済価値の文脈で読み解いている点がユニークだと思います。そして、次のような議論に発展します。

 「一つの製品を使う過程で消費者はいくつもの経験に遭遇する。そうした経験の中に差別化の可能性が秘められている。」(p36)
 「製品の購入、使用、あるいは所有を通して得られる消費者の経験を強く訴求して、ブラント・イメージを創出するのも一案だ。」(p37)
 「『経験(体験)を利用したマーケティング』ではなく、『経験をつくり出すこと自体がマーケティング」なのである。』」(p243)
 「顧客の心を動かすには、顧客の心の中に経験をつくり出すことだ。」(p243)
 

 こうした指摘は、これからのブランド論を考える上で示唆に富んでいると思います。

 しかしこの本、前半で非常に切れのいい議論をしているのですが、後半は話がとっちらかってしまっている気がします。例えば「経験」の経済価値を冒頭で主張しているのに、後半で実はそれは大切ではなく、「変革(前訳書では「変身(!)」になっていました)というものがもっと大事だ、とか。本のタイトルとも一致しないのです。
 変な比喩ですが、若いとき優秀だった教授が晩年ボケちゃった、というような感じがしています。幸いなことに新訳書では、前訳書にはあった原著の後半部分をだいぶカットしてあります。その分、読みやすく理解もしやすくなっていると思います。訳者の人も、後半は少し話がとっちらかっていると考えたのかも知れませんね。

☆B・J・パイン供J・H・ギルモア著、岡本慶一、小眈飴厂「新訳 経験経済」(2005年)ダイヤモンド社


[新訳]経験経済