広告代理店の現場からみた読書案内

広告・マーケティング関連の書籍を、広告業務の一線で働いている立場から紹介・書評します。

July 2008

 北京オリンピックも近づいて来たことですし、またスポーツマーケティングの本を読んでおこうと思いました。
 そこで手にとったのがこの本。
 「スポート・マーケティング」と書いてありますが、もちろん誤植ではありません。この本ではこだわりがあって、「スポーツ・sports(複数形)」ではなく「スポートsport(単数形)」を使っているのです。

 「スポート・マネジメント北米協会によれば、『スポーツは、ゴルフやサッカー、ホッケー、バレーボール、ソフトボール、体操などのような個々別々の活動の集合体を意味する』。(中略)しかしながら、スポートは、集約的な名詞であり、より広くすべてを包含する概念なのである。」(p5)

 とのことです。確かに「スポーツに関連するもの全部」を包括的に学術的な視点から論じられることがこれまであまりなかったのかも知れませんので、このこだわりは一つの見識ではあるのでしょう。 ...もっとも日本語にしてしまうと、かえって分かりづらくなってしまいますが。

 本自体は大学生向けのテキストブックです。スポーツマーケティングに関わるあらゆる領域を網羅しており、元の原書はアメリカでも定評のあるテキストとのことですから、最近はスポーツマーケティングが大学でも人気らしいですし、この領域を勉強したい学生さんにとってはいい本だとは思います。ただ実務家向きではないでしょう。なにしろ、この本は580ページにも及ぶ大著なのですから。

 話が少しそれるかも知れませんが、読んでいて思ったのは、「500ページものマーケティングの本の意味」という点についてでした。
 説明が必要かも知れません。マーケティングの領域は広いので、しばしば特定テーマに焦点を当てた、例えば「○○マーケティング」(例えば、WEBとか、ダイレクトとか、飲料とか...)というタイトルの本が出版されることがあります。そうした本は、普通一般的なマーケティングの基礎概念の読者の理解を前提とし書かれており、例えば「ダイレクトマーケティングにおいてターゲットをどう考えればよいのか」という問題設定はなされますが、「ターゲットとはそもそも何か?」という説明はしないものです。その分だけ分量もコンパクトになり、読みやすくもあるわけです。一般的なマーケティング概念を説明する本が「基礎」だとすると、その「応用」的な位置づけとも言えます。
 ところがこの本は、「マーケティングで言うところのターゲットとは何か?」と「スポーツマーケティングでターゲットはどう考えればよいのか?」という、「基礎」「応用」の両方が盛り込まれているところに特徴があります。もちろん「この1冊だけ読めば十分」という親切設計であるとも言えるのですが、別に「基礎」と「応用」の2冊を興味に応じて別々に読めばいいという考えもあるはずです。そうすれば、いかにテキストといえども580ページの大著にはならないでしょう。
 実はこんなことが気になるのも、スポーツマーケティングに関して以前読んだ本からも「基礎」「応用」を盛り込んだ「この1冊読めば十分」オーラが出ている印象を受けたからでした。

 何か、「スポーツマーケティング」という領域が、マーケティング分野の中で特定テーマとは違う、独特の扱いがされているように感じます。そこにちょっと違和感があるのですよね。
考えてみると、日本のマーケティング研究の中で、「スポーツマーケティング」領域の扱い自体も独特です。例えば日本の大学でのマーケティング研究は、通常、経済・経営学部系の先生方が中心になって行われています。ところが、スポーツマーケティングの研究が行われているのはほとんど体育系大学・学部です。反対に経済・経営学部系の先生方で、スポーツマーケティングをやっている人は私の知る限りほとんどいません。そして両者の交流もあまりないようです。「スポーツマーケティング」と名乗っていても、普通のマーケティングの先生方は自分に関係ない領域だと思っているようですし、スポーツをやっている先生方は、あくまで「スポーツビジネス」の一環であり、あたかも「スポーツ独立王国」で暮らしているかのように、スポーツの世界に限定して捉えているのが実態のようです。

 訳者の方もあとがきでこんなようなことを書いています。

 「アメリカ合衆国やヨーロッパなどでは1980年代からスポート・マーケティングの研究が確立され、その分野における研究も盛んに行われており、(中略)わが国ではスポート・マーケティング自体もあまり知られておらず、研究レベルもそれほど進んでいない(後略)。」(p577)
 「欧米ではスポート・マーケティングは、マーケティングの一分野として考えられているか、マネジメント系の研究者が、その研究に携わっていることが多いが、わが国では、どうもイベントないしはスポーツの側面からのアプローチが主流であるために、スポート・マーケティングが体系的に研究されていない(後略)」(p578)


だそうです。

 しかし、スポーツマーケティングが注目されているというのは、日本のような成熟社会において、経済活動、いや人間生活の中で「スポーツ」というものの重みが増してきていることの反映に違いありません。
 訳者の見解では、アメリカ・ヨーロッパに比べて日本の状況が特殊なのかも知れませんが、「一般のマーケティング」「スポーツマーケティング」が互いに違う世界にいるのはもったいないことなのだから、日本でも互いに両者の知見を融合させて何かを語るような新しい知見や研究が欲しいところです。

 あ、そういえば実務家向きではないと書きましたが巻末のスポーツに関するアンケート調査項目は使えると思います。
 実務家の方も懲りずに是非580ページに挑戦してみてください!

☆B.G.ピッツ、D.K.ストッラー編著、首藤禎史、伊藤友章訳「スポート・マーケティングの基礎[第2版]」2006年、白桃書房

スポート・マーケティングの基礎 第2版 (HAKUTO Management)

 元気のなかった会社から思わぬヒット商品が飛び出して会社が息を吹き返すことがあります。
 どうして息を吹き返すことができたのか? もちろん会社それぞれにドラマがあると思います。しかし会社組織は人の集合体ですから、それを進めた社員の働きの結果であることは間違いありません。それは、例えば「中興の祖」と呼ばれるリーダーシップを持ったトップだったかもしれないし、目立たない少数の、あるいはたった一人の社員の頑張りだったのかも知れません。

 往々にして会社組織は保守的になるから、変革を目指す人は多くの場合周りから理解されづらいし敵も多く作る可能性があります。しかしそうした人が力を発揮できるある特定の環境に置かれたときに、何かが変わり目覚まし成果を収めるということがあるのではないかと思います。

 1980年代末から90年代にかけての、アサヒスーパードライの躍進は、ハーバードビジネススクールのケーススタディにもなっているほどの大成功ケースとして知られています。
 今回紹介する本は、その成功のプロセスを描いたインサイドストーリーです。これを読むと、このケースも会社が危機に陥ったときに、問題意識が高く有能な社員が周りと戦いながら理解のあるトップの庇護を受け、いくつかの幸運にも恵まれながら難局を切り開いていく様子が描かれています。著者がその社員であった、スーパードライ発売時のマーケティング部長だった松井康雄氏です。
 
 まず、ご存知の方も多いかと思いますが、スーパードライのストーリーを簡単になぞりたいと思います。
 80年代中頃まで、アサヒはシェアの低下が止まらず、後発のサントリーに追い抜かれるのは時間の問題とさえ言われていました。しかしこうした状況下、強い問題意識を持った松井氏を中心に密かに新たなビール開発が進められます。コンセプトはビールのヘビーユーザーを狙った継続飲用されるビール、つまり雑味のない洗練されたクリアな味のビールでした。そして新しいビール第一弾として準備されたのが当時「コクキレ(コクがあるのにキレがある)ビール」と言われた「アサヒ生ビール」。そうしたところに当時の住友銀行から派遣された樋口廣太郎氏が社長に就任。86年のことです。その年、アサヒのCI導入に合わせこのビールが発売されるとヒット商品となります。次いで87年、新ビール第二弾として投入されたのが「スーパードライ」でした。発酵度とアルコール度数を上げた「何杯飲んでも飲み飽きない、辛口ビール」という商品コンセプトで市場に導入され、たちまち市場を席巻します。翌年には他社がドライタイプのビールを相次いで発売し「ドライ戦争」と呼ばれますが、そこでも圧倒的な勝利を収めます。アサヒが進めた「生ビール」を前面に押し出す戦略に、当時不動のシェアNo1ビールだった「キリンラガービール」も「生化」を決断。しかしこれが裏目に出て、結局はシェアを落としてしまいます。こうした敵失にも助けられ、ついにはビールブランドトップの地位を獲得するに至り、それが今日まで続いているわけです。

 この本はいろんな読み方ができる本です。

 この本が書かれたのは2005年で、古くはないですが決して新しい本でもありません。私はもともと、ケーススタディとしてスーパードライの成功の要因を調べているうちにこの本に出会いました。このような、日本のマーケティング史上に残る有名ケースであるスーパードライの成功物語を理解したいと思う人にはいい本です。

 著者松井氏のマーケターとしての着眼点、行動力はすばらしいものです。随所にマーケティング業務に携わる人にとっての「お手本」が示されており、それを学ぶ、という読み方もできると思います。

 もちろん、「読み物」としても、すなわち優れた企業ノンフィクションとしても読むことができます。社員と会社組織との軋轢、周りの礼賛と嫉妬など、渦中の人間ドラマにグイグイ引き込まれます。

 しかし私の心にどうも引っかかったテーマが他にありました。

 それは冒頭に述べたような「スーパードライの成功劇」はなぜ起こり得たのか、ということでした。読んでみて私なりに、どうも次の3つの要素の掛け算の式がうまく成立したからかな、という思いに至りました。それは、

 企業の成功劇 = 「有能な人材」×「それを生かす(あるいは殺す)環境」×「運やタイミング」 

 という図式です。
 まず「有能な人材」がいることが前提です。
 そして彼(彼ら)が能力を発揮できるポジションについているなど、「環境」が整っていることが次に大事です。
 さらにこれが最も決定的な要素かも知れませんが、それらを生かす、「運やタイミング」に恵まれること。

 逆に言うとこれらが揃わねば、成功と言うのは難しいのではないか? この3つの要素が理想的な形で揃う確率はとても小さいのではないか? アサヒビール結果的に言うと、たまたまこの要素が理想的に揃った恵まれた瞬間があったのではないか? ということを思います。

 事実、松井氏がマーケティング部長の職責にあり、上記の3つの要素が揃ったと言える短い期間に、スーパードライ導入と定着など成功が相次ぎます。その後、彼の成功をにがにがしく思う人たちの圧力により、松井氏はマーケティング部長の職を外されるわけですが、それ以降新製品がことごとく失敗するなど、必ずしもアサヒにとって目覚しい成果があるとはいえない状態に逆戻りしてしまいます。もっともキリンの敵失があってスーパードライの成功は維持されますが。

 松井氏は本書の最後のほうで中国の故事を引用して、自らの状況を

  『狡兎死して走狗烹らる』(p418)
  (うさぎが狩り尽くされると、猟犬も不要になり煮て食われてしまう)

 と述べています。私はこの言葉を見て戦慄が走りました。企業組織の「業」の深さと言うかなんと言うか、いたたまれないものを感じたからです。

 会社組織の中にあって、松井氏のように、何とか行き詰まりを打破したいという志と能力を持つ社員は少なくないと思います。
 しかし「環境」「運・タイミング」の要素まで揃うことは容易ではないと思います。すると失意のうちに名もない多くの人々が歴史に名を刻むことなく去っていくということがあるのかもしれません。そして企業も復活のチャンスを得ることなく、いつの間にか業績停滞が普通になるという日が来るのかも知れません。いや仮に成功劇を演出した企業であっても、その中心になった人がその組織の中でその後どういう処遇を受けたのかはまったく分かりません。いつの間にか冷遇されているようなことがあるのかも知れません。

 昨日の新聞で今年2008年上半期の集計で、サッポロビールがサントリーにシェアで追い抜かれ4位に低下したという記事がありました。

 サッポロやサントリーの社内ではどういうドラマがあったのでしょうか? あるいはこれから生まれるのでしょうか?

 とても気になってしまいました。
 
たかがビールされどビール―アサヒスーパードライ、18年目の真実 (B&Tブックス)

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