広告代理店の現場からみた読書案内

広告・マーケティング関連の書籍を、広告業務の一線で働いている立場から紹介・書評します。

January 2006

 この本は「ITマーケティングのバイブル」とも言われている有名な本ですね。「バイブル」と言われるだけにもともとは古い本で、原著「Crossing the Chasm」(キャズムを超えて)の初版は1991年。取り上げられている事例などをアップデートして1999年に新刊本が出版され、それが日本語版になっているようです。それにしても「IT製品のマーケティング」がテーマの本なのに、まだインターネットなんて誰も知らなかった頃に出版された本が、15年以上経った今でも読み続けられているというのは大変なことだと思いませんか? ある意味奇跡です。
 それほど、内容の説得力と有用性が認められてきたからでしょう。

 私自身がこの本に出会ったのも実は多少古くて、ちょうど日本語版が発刊された頃、あるISP(Internet Service Provider)のADSLサービスについてのマーケティング業務をしていた時でした。たまたま同僚が持っているのを手にしてパラパラとめくったら、その時やっていた仕事にそのまま当てはめられるような部分を見つけたものですから、「これは使える!」と思って、そこを取り入れた企画書を作りプレゼンテーションしたものでした。その後本屋で自分のものを購入しましたが、何となくずっと机の隅っこに置きっぱなしにしていました。最近ふと最後まで読み通そうと思って、今回読み直してみた、というものです。

 当時企画書に使った話も含めて、この本の主張を簡単にトレースしてみたいと思います。

1.テクノロジー・ライフサイクルとキャズム
 最初に、「テクノロジー・ライフサイクル」という概念を紹介しています。

 「このモデルは、新たなテクノロジーに基づく製品が市場に受け入れられていくプロセスを、製品ライフサイクルの進行にともなって顧客層がどのように変遷するかという観点からとらえたものである。」(p14)

 つまり、新製品の普及が異なった顧客層に順々に受け入れられて進んでいくというモデルです。最初がイノベーター、次にアーリー・アドプター、そしてアーリー・マジョリティレイト・マジョリティ、最後がラガードの順に進むというものです。各々の顧客層の構成比は正規分布の平均値からの標準偏差の大きさで区分された面積の大きさとされています。
 それぞれの顧客層には特徴があって、イノベーターは新しいものなら何でも取り入れるハイテクオタク。アーリー・アドプターは新技術を評価し自らに有用だと判断すれば、他人の評価を気にせず取り入れる人。アーリー・マジョリティは有用だという評価が定まったら取り入れる人。レイト・マジョリティはより大衆的になり価格も手頃になったらったら取り入れる人。ラガードは最後まで取り入れない人、などと説明されます。

 聞いたことありますか? (結構使える概念なので、知らなかった人はこの本でここだけでも勉強してみてください。詳しく説明してあるブログも見つけました。)

 さてこのテクノロジーライフサイクルモデルで、ある顧客層から次の顧客層への移行は、異なった購入動機を持つ顧客層への移行であり不連続なもので、マーケティング戦略の変更を必要とするとされます。特に、アーリー・アドプターからアーリー・マジョリティへ移行する間には、大きな溝(キャズム)が存在しており、ここを乗り切れるか乗り切れないかということが、製品がメジャーになるのかならないのかの分かれ目だ、というのが本書のタイトルの由来でもあり、この本の独自な部分です。
 技術的に新しいものゆえ最初はそこそこ引き合いがあったものの、キャズムを超えられない(メジャーになりきれないで)で失速するIT製品が非常に多いという問題点を筆者は指摘し、その対応策をこの本ではいろいろ主張しています。

2.キャズムを超えてメジャーになるために
 では、キャズムを超えるためにはどうすればいいのでしょうか? これが本書の2つ目のテーマであり、本書の中心テーマです。
 例えば、

 「まずニッチ市場から攻めるというアプローチをとらないでキャズムを超えようとするのは、たきつけを使わないで火をつけるようなものだ。」(p104)

 「新市場に入っていくときには、自社製品が顧客の口コミで評判となることが必須だ。ハイテク製品を購入するときには、口コミによる情報がもっとも信頼されているという調査結果が多数報告されてもいる。(中略)口コミ効果がないと、製品を売り込むのに苦労することになり、その結果、販売コストは上がり、売上げは不安定になる。」(p107-108)

 「早くマーケット・リーダーになりたいのであれば――もちろんなりたいに決まっている――唯一の戦略は『小さな池で大きな魚になる』というアプローチである。(中略)セグメント、セグメント、セグメント。このアプローチの良いところは、『マーケットの支配』を目標にしているところだ。」(p110)


 いくつか本文から引用しましたが、つまりニッチなマーケットでリーダーとなり口コミ評判を起こして、それを梃子にしてより大きなマーケットに打って出る、というシナリオのようです。

 筆者は他にも、製品の特性などの点でいろいろな提案をしていますが、ここで引用したアプローチだけをとっても、考えてみれば決してIT製品だけに限られたもの、というわけではなさそうですよね。一部で人気だった商品がある日突然ブレークしてメジャー化すること――しばしば“ブーム”と呼ばれます――は、われわれ日常でよく目にすることですが、そのメカニズムと似ているような気がします。
 その意味ではIT製品のマーケティングに限らず、広く商品をヒットさせたいと思う人が読んで参考になる本といえるのではないでしょうか。

 もっとも、IT製品の事例とか用語とか難しくって、本の後半は私はかなり読むのがしんどかったですが。。。

☆ジェフリー・ムーア著、川又政治訳『キャズム』(2002年)翔泳社

キャズム

 広告業界に就職する前、まだ学生の頃私は「広告代理店」というものは「世の中に『ブーム』を仕掛け、それを裏で操る黒幕」というイメージがありました。ちょうど糸井重里や川崎徹などをはじめとしたクリエイターが活躍していた時代でした(注:2人は著名なコピーライターとCMディレクターです)。バブル景気で沸く世の中を裏で演出する―「広告代理店」というものに対してそんな一種の神秘性を感じていました。
 就職して内部の人間になると、すぐそんなことは幻想だと気づきました。仕事は地味でしたし、ブームを作るなんていうことより、明日提案する企画書を何とか仕上げる、というようなことの方がずっと大ごとでした。
 しかし、自分の手でブームを仕掛け世の中を動かしたい、というのはこの業界で働く人が共通して持つ「夢」ではないでしょうか。クライアントあっての広告会社ですから、クライアントとの良き出会いがなければ、なかなかそれができないし、出会いがあったとしてもその方法がわからないというのが実情だと思います。

 今回紹介する本は、その「ブーム」を生み出す道筋を大胆にも提示した本です。いや、著者はそれを説明したくてこの本を著したのではないのかもしれませんが、私はそう思いましたし、そこに一番のユニークさを感じました。

 最初にこの本を見たときには、何だ?と思いました。本の題が「ブランド・ハイジャック」、副題が「マーケティングしないマーケティング」となっています(原題同じ)。大体、今時("9.11"以降)本のタイトルとして「ハイジャック」という言葉をセンセーショナルに使うこと自体見識を疑いましたし、「マーケティングしないマーケティング」というのも、最近ありきたりのポストモダンマーケティング論の一種かな、と感じてしまいました。
 それでも読んだのは単に新刊だったからですが、よい意味で期待が裏切られました。著者は現状のマーケティングの課題などをよく考えているし、ブランドのカルトなファンを作るためにカルト教団に学ぶなど、視野も広めです。それでいて実務的な内容であり、少なくとも私はこれから仕事をする上で考えさせられることが大でした。

 どんな内容かというと――この本、内容もさることながら、最後にある「訳者あとがき」がとてもよく、本書の言いたいことが簡潔に要約してあるので、まずこれを読んでから本文を読み始めたほうが理解が早いと思います。そこから引用します。

 「この副題はちょっと誤解をまねくもので、原著者も本書の冒頭で明らかにしている通り、ハイジャック・ブランドづくりは、『マーケティングなきマーケティング』では毛頭なく、むしろ緻密な計画に基づいたもの。思い切って市場や消費者の手にブランドを委ねてしまい、成り行きに応じて計画をどんどん変えていく柔軟性を持ち、しかし頃合を見計らって、従来のマス・マーケティングに切り替えて大型ブランドに育て上げていく、という新しい手法です。ちょっと不安に思えるかもしれませんが、今日の人気急上昇ブランドの多くが従来のマーケティングの常識に当てはまらないことを考えると、たしかに卓見かもしれません。」(p340)
 「(中略)先行した草の根マーケティング、ゲリラ・マーケティングとはまったく違うものです。」(p342)


 そうなんです。確かに著者の主張は新しい提案であり、卓見だと思うのです。

 著者の主張をまとめると次のようになると思います。

 ・現代の成功ブランドは正統的マーケティング手法ではなく、絡め手から攻めて来たものが多い。
 ・マーケティングを見透かして単純に受け入れないような、現代の市場にどうやってマーケティングするかが課題だ。
 ・ブランディングの主導権は消費者に移っており、情熱的な無数の人々が大ヒットを後押ししている。この現象を「ブランド・ハイジャック」と呼ぶ。
 ・これらの消費者は、企業のマーケティングのためにタダ働きするのではない。ある種のブランドビジョンに共感し、それにもっと深く関わりたいから自主的に行動すし、それがブランドを成功に導くのだ。


 そしてブランドが共感する消費者により「ハイジャック」され最終的に大ブームになっていく、というストーリーをたどるようにするための戦略的な道筋を、さまざまな事例――レッドブル(欧米の健康ドリンク)、ブレア・ウィッチ・プロジェクト(映画)、パーム、iPodなどの事例を紹介しつつ論じています。
 さらに筆者は、こうした手法は予算の少ない中小企業が予算が少ないことを逆手に取って行うゲリラマーケティング的なものではなく、大企業・大ブランドも応用できるものであるとも主張しています。

 今日本でも注目されている「バズマーケティング」に対しても、こんな意見です。正論だと思います。

 「バズについてはさんざん語られているが、これはマーケティングの中で最も誤解されている概念だ。たいていのマーケターは、バズを戦術やツールの一つとしか考えていない。しかしバズとは何らかの結果であり、方法ではない。」(p274)

 また、著者はブランドが大ヒット化するためには、初期の段階で適切なイノベーターやアーリー・アドプターに受容・共感されることが重要であると説いているのですが、それに失敗した事例として面白い例を紹介しているので紹介します。

 「ベータマックスを覚えているだろうか? これはVHSよりずっと優れた技術だった。だがVHSが標準になったのは、いまや伝説になっているように、アーリー市場としてのポルノ産業を理解していたからだった。VHS陣営は、ほとんどあらゆるメディアにおいて、最初のコンテンツはたいていポルノであることを知っていたが、ソニーはこの点を見逃し、ポルノ業界にライセンスを開放しなかった。この判断がベータマックスの将来を封印した。初めてのセルビデオはアダルト映画だった。それはハリウッドより丸1年も早かった。70年代後半から80年代初頭にかけて、ビデオレンタルの5割以上がXレートものだった。この業界に権利を開放しなかったことで、ソニーは自分の脚を撃ち、アーリー層にVHSを買わせてしまったのだ。」(p270)

 ベータマックスに対してVHSがデファクトになった理由としては、いろいろ言われていると思うのでこれが決定的理由かどうか真相はわかりません。しかし、最初の段階で、普及のために適切な消費者グループを見方につけなくてはならない、ということが端的に分かる事例です。


 この本に書かれている通りにやったとしても、広告業界人の「夢」であった「ブームを生み出す」ことが容易に実現できるとは思いません。しかし、今日の市場・消費者環境の中で、それを生み出す方法論を曲がりなりにも整理したのは貴重ですし、実際のプランニングの現場にいる人ならば、きっと感じるものが何かあると思います。

 タイトルは一般向きですが、実務家が何かを感じる本だと思います。

☆アレックス・ウィッファース著、酒井泰介訳「ブランド・ハイジャック」(2005年)日経BP社
 
ブランド・ハイジャック~マーケティングしないマーケティング

 あけましておめでとうございます。とは言ってももう松の内は過ぎてしまいますね。

 さて、2006年の最初に紹介する本は、2003年出版のやや古い本ですが(ガクッ)、アメリカノースウエスタン大学ケロッグスクール、およびメディルスクールIMC学科の教授陣によって執筆された、「統合マーケティング(Integrated Marketing)」をテーマにした論文集です。
 昨年の最後に紹介した「ドン・シュルツの統合マーケティング」という本がとても良かったので、この考え方のバックボーンにあるケロッグ校やメディル校IMC学科で議論されていることはどんなことなんだ、と興味を感じたので以前本屋で見かけたこの本を急ぎ買って読んでみました。

 内容はそれこそ幅広く、統合マーケティングの概念から、カスタマーロイヤリティ論、消費者体験論、バイラルマーケティング、CRM、スコアリングモデル、統合マーケティングのケーススタディ、マネジメント組織等々、多岐に渡っています。中には、消費者インサイト研究で有名ですが日本では著作の翻訳が未出版の、リサ・フォルティーニキャンベルの論文なども入っていて、ちょっと得した感じもあります。
 
 「マーケティング関連のビジネス書や記事は、伝統的なマーケティングの考え方を変化させることの重要性を盛んに説いている。(中略、しかし)伝統的な考え方の違いは十分に説明されていない。唯一の例外は、新しい包括的なマーケティング原理を意味する用語として我々が提唱する、統合マーケティングという概念だろう。」(p22)
 「統合マーケティングには、相違はありながらも関連する3つのテーマが含まれている。第一のテーマはターゲットを絞る、つまり多数の人々に一般化されたものでなく、絞り込んだターゲットにカスタマイズされた製品・サービスを提供すべきだという考え方だ。(中略)第2のテーマは、消費者をどう捉えるかである。そこで必要なのは、消費者全体を俯瞰することだ。(中略)第3のテーマは、消費者とのコミュニケーションはどうあるべきか、である。メディア偏重型の現状からいかに脱却を図るか。(中略)メディアへの露出を、コミュニケーションの目的として偏重してはならない。消費者とブランドとの接点すべてがコミュニケーションの機会なのである。」(p23-25)


 冒頭の論文から引用しましたが、上記に代表されるように文面も全体的に野心的・意欲的で、新しいものを我々が作っているのだ、という気概に溢れています。
 全部を読み通してももちろんいいと思いますが、各論文が手際よくまとまり完結しているので、興味のある部分だけ読んでもためになると思います。

 さて、本の内容は上記の通りですが(ちょっと簡単すぎ)、私ずっと読んで来て、一番最後の章にちょっとひっかかりました。
 それは、スティーブン・バーネット教授による「第14章 統合マーケティング組織に向けて」と題された、統合マーケティングを実施していく組織体のあり方について論じた章でした。
 単にマーケティングマネジメントについての論考なら掃いて捨てるほどあるわけですが、「筆者の20年にわたる経験に基づいて書かれた」とされるこの小論は、「マーケティング」というものに取り組む企業が陥る罠と対応策についてリアルに描き、それでも「マーケティング」に取り組もうという企業に対してエールを送る、という内容になっています。
 その筆者の経験の中身とやらですが、筆者の勤務するケロッグ校には、マーケティング教育やコンサルテーションを依頼するために多くの企業が接触してくるとのことで、それらの企業へのトレーニングやコンサルティングを行った経験とのことです。いずれも各業界でリーダー的な位置にある企業だそうですが、より「マーケティング」を究めたいという動機からケロッグ校の門を叩くそうです。
 しかしトレーニングやコンサルティングをした企業(のマネジメント)が、すべて最高のマーケターになったかというとそういうわけではなく、筆者の経験から言うと企業によりさまざまだった、というのが正直なところのようです。当然と言えばそうなのでしょうが、どうしてさまざまになってしまうのか、という点が筆者の問題意識となってこの小論が書かれているようです。

 まあそのこと自体はいいのですが、私が引っかかったのは、「筆者の20年の経験」、つまりアメリカの一流企業がケロッグに接触することで、ケロッグの教授陣が企業の実態に触れ、そこで悩み解決策を模索しているということ、そしてその経験を通じた結果として質の高いマーケティングの議論や新しいマーケティングのコンセプトが生まれているのではないかなあと感じたことです。

 振り返ってわが日本の大学におけるマーケティング研究はどうでしょう? 確かに以前に比べれば産学の垣根は低いですし、大学の先生のコンサルティング受けている会社の話を時々聞きます。マーケティングのトレーニングと言う意味でも、社会人を受け入れる各大学のビジネススクールは近年とみに充実しています。しかし、日本のマーケティング研究から生み出されるものといったら... もちろん有意義な研究をされている先生もいらっしゃいますが、骨太でオリジナルで魅力的なコンセプトが生み出されているということは、あまりないような気がします。企業側もマーケティングの面で大学を当てにしているところはかなり少ないのではないでしょうか。結果大学には、企業の現場の課題や情報が伝わらず、たまに学会などに行くと、こんなことなんの役に立つの? と感じてしまう発表のオンパレードだったりすることがあります。本来実務に役に立ってなんぼ、というのがマーケティング研究だと思いますが、ちょっと悪循環があるのでしょうか。

 そういうことを思うとアメリカの質の高いマーケティング研究を生み出す土壌というか、層の厚みというか、まぁケロッグ校だけの特殊な立場なのかもしれませんが、魅力的であり、うらやましくもあり、日本の環境の違いに思いをはせてしまいました。
 本当は日本からも、“ジャパンクール”と言われるくらいの骨太の概念を世界に発信できたりするといいのでしょうが。

 とはいってみたものの、こうした価値のある本を日本語で読めるのは、日本の大学の先生方の研究(翻訳出版活動)の賜物ではあるから、そういった意味では軽々しいことは言うべきでないのでしょうけどね。

 正月から難しい話になってしまいました。少し反省。

☆ドーン・イアコブッチ、ボビーJ.カルダー編著、小林保彦、広瀬哲治監訳「統合マーケティング戦略論」(2003年)ダイヤモンド社

統合マーケティング戦略論

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