広告代理店の現場からみた読書案内

広告・マーケティング関連の書籍を、広告業務の一線で働いている立場から紹介・書評します。

November 2005

 最近、CGM(Consumer Generated Media)と呼ばれる、消費者発の“草の根メディア”をマーケティングの領域で活用しようという動きが活発です。例えば、キャンペーンブログを立ち上げトラックバックを集めたり、アフィリエイトプログラムを用意して一般の人に商品販売のお手伝いをしてもらうことが行われています。GoogleのAdSenseなどを利用して広告媒体として活用することも一般的になりました(このサイトではやってませんが...)。
 さまざまある手法の中でも、消費者の発言(書き込み)を企業が活用してきた代表的なものは「ネットコミュニティ」でしょう。企業が掲示板(BBS)などに自由に書かれる書き込みを参照したり、自らコミュニティを設けて消費者と直接つながり彼らの声を聞いたり、情報を優先的に流すチャネルとして活用してきたわけです。この手法は、日本ではパソコン通信のニフティフォーラムの時代から連綿と続く、ある意味伝統的な手法でもあります。

 この本は、この「ネットコミュニティ」をマーケティングチャネルとして活用する戦略について考察した本です。事例を中心に書かれている本ではありますが、これまで何冊か紹介してきたネットコミュニティの本とは若干毛色が違っていて、大学の研究者がまとめた、やや学術的なものです。
 出版年が2003年とやや古いのですが、私自身はネットコミュニティを活用したマーケティング手法の参考のために読んだものです。

 さて、最初にこの本では以下の視点からネットコミュニティを捉えています。

 「一口にネット・コミュニティといっても、インターネット上にはさまざまなコミュニティが存在する。そして、これらのコミュニティにおいて、製品、用途、あるいはその背後にあるライフスタイルやワークスタイルが語られる限り、企業のマーケティングとの間に関連を有する。このような関連のなかで、とりわけわれわれが注目するのは、消費者の情報源としての役割である。情報源としてのネット・コミュニティは、企業と顧客との間に、従来とはきわめて異なる関係をもたらしうる。」(p2)

 この視点は重要だと思います。企業がネットコミュニティをマーケティング活動で利用する視点として従来よく言われていたは、
 ・直接消費者の声を聞く(新商品開発のアイデア、自社製品・他社製品に対する評価、などのため)
 ・企業が自身の情報を流す(広報・広告のため)
 ・ロイヤルティ向上(自社のファン育成のため)
 などの視点でした。
 
 これらはみな大切な視点ですが、考えてみればみな企業側の視点です。ネットコミュニティに参加する参加者(消費者)からすれば、自分の意見を企業に聞いてもらうために参加するのではなく、そこで他の参加者に向けて意見を言ったり、他の参加者の発する何らかの情報を得たりするためですよね。そしてそれが他の場所ではできないことであるがゆえに、そのコミュニティに参加するわけです。特に、他の参加者の発する情報を得るために参加する、という見方は大切で、この視点を持つと参加者の何倍もいるといわれるROM(Read Only Member)という存在の重要性を導き出します。従来あまり考慮されなかった彼らであり、書き込みをする参加者に比べコミュニティ上の情報の影響は受けにくいのかも知れませんが、量的には大きいはずで、購買活動などへの影響力は決して小さくないはずです。

 こうした消費者から消費者への情報伝達活動のコミュニケーション回路は、言ってみればクチコミの世界ですが、インターネット出現前では大規模な形で存在し得なかった新しい形のコミュニケーション回路です。

 ですから、こうした消費者の情報源としてのネットコミュニティをどう扱っていくべきか、という問題意識を持ったこの本は、新たなコミュニケーション回路のあり方を探るものであり、多少古い本ではありますが、現在のCGMを活用したマーケティングコミュニケーションの背景にある問題意識に通じるものがあります。

 肝心の本の中身ですが、次の2つの点が面白いと思いました。

 1つは「ケースメソッド」的な手法で事例を分析していること。この本で取り上げられているのは、パナソニック・レッツノート、IBM(当時)Think Pad、シャープ・ザウルス、パイオニアDVD/LD Club、ホンダドリームライダーズ、ニコンスクエア、@cosme、エコロなココロ、の8事例です。今となっては古くなってしまったものもありますが、全部の事例を通じてそれらがどんなコミュニティであるかを単に紹介するのではなく、そのコミュニティがどういう背景と経緯を持って、あるいは企業の開設したコミュニティであれば、どういう企業戦略に基づき設けられ運営されてきたのか、ということがわかるような紹介の仕方になっています。これらの事例には、結果として成功したケースも、途中で問題が生じてしまったケースもあります。しかし、背景を含めた全体が見渡せるので、もし自分が同じ立場に立たされたときどうするべきか? を考える上で恰好の教材になっています。

 2つ目は、そもそもの問題意識である「消費者の購買に際しての情報源としてのコミュニティ」という視点に立って、8つの事例をそれぞれパターン分けしていることです。例えば、そのコミュニティの情報の信頼性の高さ、取り上げられている情報の包括性(話題の広さ)、内部でのコミュニケーションの濃密性、外部への開放性、などの軸を設定し、各事例を分類しています。
 この本による分類結果自体は、私自身はわかりずらいと思いあまり共感できませんでしたが、もしこれから新しいネットコミュニティを設置しようと考える人がいましたら、上記のような分類軸で仮説的にどのパターンに当てはまるか、あるいは当てはまるのが適当か、考えてみるのも有効な方法だと思います。

 例えば、ユーザーのファンサイトで、内部のコミュニケーションが濃密になればなるほど詳細で信頼性の高い情報が交わされる一方、話題が限定されニューカマーにとっては欲しい情報へのアクセスが難しく、コミュニティにも参加しずらい、という問題が生じる傾向があるようです。一方@cosmeのようなユーザー評価を中立の立場で紹介しているサイトの場合、広範囲な情報が集まりやすいため、誰もが自分に関心のある情報にアクセスしやすく、コミュニティへの参加も敷居が低い反面、自分の意見への共感を求めて書き込みをしても反応が鈍い、という問題が生じます。
 つまりコミュニティというのはいくつかのパターンがあり、それぞれ長所短所があるようです。自分がどういう性格のコミュニティを形成したいのか、という方向性が大切ですが、それは先ほどのような軸で規定してやることである程度はっきりすると思います。そして、その方向性はサイトのつくりや投稿のルールなど参加性を規定することである程度コントロール可能なようです。
 これらのことは、コミュニティ運営に乗り出そうとした時だけでなく、今運営しているネットコミュニティに問題が生じたような時などでも参考になるかもしれません。

 ネット上での消費者、あるいは消費者発メディアを企業のマーケティング活動に巻き込み、コミュニケーションチャネルとして活用するのは難しいといわれます。しかしこの課題はインターネットの影響力が今以上に増し、マス広告の影響力が相対的に低下するにつれて、今後どの企業も直面する課題になるでしょう。
 そのとき、本書で示されたような問題意識と視点は、いくつかのヒントを提供してくれると思いました。

☆池尾恭一編「ネットコミュニティのマーケティング戦略」(2003年)有斐閣

ネット・コミュニティのマーケティング戦略―デジタル消費社会への戦略対応

 この本を読んでいてずっと感じていたのは、あまりいい言い方ではありませんが、雑な議論をしている、ということでした。

 本書を要約すると、ブランドが消費者と強い絆を作るうえでは、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)をトータルに刺激するブランドコミュニケーション(広義の)が重要だ、という指摘です。本書のカバーもご丁寧に(笑)、触覚を刺激できるよう表面に凹凸ができています。

 「消費者の理性の働きをブロックして、直接感情に働きかけるブランドがもっとも威力を発揮することができるというのは、明白な事実です。そして、感情は感覚への刺激から生まれます。」(訳者まえがき鵝

 こうした指摘自体は正しいと思います。ブランディングはよく恋愛に例えられますが、人(ブランド)を好きになる時に、理性的判断より感覚的な反応が優先してしまうことに同意する人は多いと思います。ちょっとしたしぐさ、香水やコロンの香り、軽いボディタッチで恋に落ちてしまうことはあり得るでしょ?(みなさま!)。ブランドも同じです。
 逆に感覚的要素でそのブランドが嫌いになることもありえます。
 私は、以前住んでいた家の近くにあったあったコンビニの店内にいつも漂っているニオイがとても苦手でした(なぜかそのチェーンの店はどこでも同じニオイが漂っているような気がしました)。いまだに、そのコンビニチェーンは好きになれません。
 
 とはいえ、こうした「五感」に注目する指摘は、マーケティング上では決して新しいものではありません。過去繰り返し繰り返しなされてきたと思います。例えば、「エモーショナルブランディング」(マーク・ゴーべ、2002年)、「エスセティックスのマーケティング戦略」(シュミット、シモンソン、1998年)など。重要性はわかりますが、言い古されたテーマです。

 したがって、筆者が事例として取り上げているのも、ある意味発見の少ないものです。例えば、自動車メーカーがクルマの性能とは直接関係のない「音」にこだわっていることが五感を重視する例として紹介されていますが、よく知られていることです。ドアの閉まる音や排気音(エンジン音)を心地よいものにしようというのは、ドアの閉まるバタンという音や、クルマの排気音が何もしなければ非常に不快なものになってしまうことを考えれば、クルマの開発者でなくても当然考えることではないでしょうか。
 五感で感じさせようとするのは、マーケティングの4Pで言えば、Product、つまり製品・サービスに関する部分が大きいと思います。多くの開発者は、消費者に気持ちよく使って(食べて)もらうために、視覚(デザイン)はもちろんのこと、触覚的なもの、ニオイ、音、食品ならば当然味覚を配慮するものだと思います。
 ちなみに、先ほどの「排気音」については面白い話を聞いたことがあります。以前担当していたある自動車メーカーのスポーツカーについてですが、その開発担当者が言うには、そのクルマの排気音は「夜中コンビニの駐車場でアイドリングしたとき、周りの人を威嚇できる音」をイメージしてチューニングしたということでした。“ヤンキー仕様”ということですね。私は面食いましたが、同時にすごい目の付け所だと感心もしました。下品なようだけど、スポーツカーを欲しがる20代前半男性くらいのターゲット層の心理をうまくとらえているなぁと思ったからです。実際そのクルマはよく売れました。これは10年以上前の話ですが、こうした視点はもの作りに携わる人なら、多かれ少なかれ共有していた感覚だと思うのです。

 したがって、著者のように五感が大事という指摘だけでは、当たり前すぎて物足りません。仮に、上記「エスセティックスのマーケティング」(本は絶版のようです)などで展開されているような、デザイン的なものの優位性を主張する議論だったら、かえって焦点が絞れて有意義感を得たかもしれません。

 むしろ、五感が大事だとしても実際に考えれば本当に難しいのは、具体的に自分の担当するブランドは、顧客にどんな感覚を提供すればいいのか? ということではないかと思います。例えばニオイが大事だとすると、具体的にどんなニオイをつければいいのか? ということです。あるいはどんな触感が必要か? どんな音が必要か? ということです。困ったことに、感覚的要素は商品開発者がよかれと思ってやっていることでも、消費者がそれを喜ぶかどうかはなかなかわからないものです。海外旅行に行ったとき、ホテルに置いてあるシャンプーの香りが強くて閉口した経験を持つ日本人は少なくないと思います。それと同じように、何を心地よいと感じるかの感覚は、人により、文化により、生活環境により異なるがゆえ、何を提供すべきか判断しにくいのです。
 事前に実際に使わせて評価を取る方法もあり得ますが、彼らが調査を通じて、何がいいという方向性を示してくれることはあり得ません。何が不満か語るか、用意された選択肢の中で、一番「まし」なものを選ぶだけです。実際調査をするにしても、商品のコンセプトテストなどに比べずっと手間もかかり大変ことが必要です。

 こうした難しい点について、この本では明確な「答え」を示してはいません。問題提起すらしていません。こういう点が、議論を雑に感じてしまう大きな原因だと思います。
 
 逆にこんな事例を紹介しています。

 「GMは、見込み客が触り、聞き、嗅ぐすべてのものを偶然性にまかせてはいません。キャデラックの新車のニオイ、つまり、工場から出荷されたばかりのエーテルのニオイは、カスタマイズされたエンジニアリングの結果なのです。2003年、彼らは特別な香りを調合し、それは革のシートに化学的に処理されています。(中略)私たちは、今では革の本当のニオイよりも人工的なニオイの方を好むのです。自動車メーカーは、顧客の要求を満足させることに大きな努力を注いでおり、自動車のための人工的な革のニオイを調合したのです。」(p141-142)

 このような人工のニオイをクルマに添加することは、フォードも、クライスラーもやってると指摘しています。さらに、

 「ブラドセンスの調査によると、アメリカの消費者の27%はフォードの自動車は、他と違う独特なニオイがすると信じています。一方トヨタについては、同じ答えは22%しかありませんでした。ヨーロッパではもっと顕著な差があり、34%がフォードのニオイは独特だと答えていますが、対照的にトヨタについては23%しかそう考えていません。」(p142)

 筆者は、フォードに独特のニオイが知覚されていることを好ましく考えているようですが、最近のフォードの凋落、トヨタの躍進を思うと、このニオイの知覚の有無は、フォードにネガティブに働いている可能性があるのではないでしょうか?(特にヨーロッパでは)。そういう可能性についても、本書ではやや注意が足りないように思います。

 もちろん、筆者は五感に注目する必要性だけを述べているのではなく、感覚的要素でブランディングをするという発想に立ち、感覚的視点から見たブランドの現状分析(監査)方法、あるいは、ブランドの感覚的要素を測定する方法についても紹介しています。その測定する試みは新しいものといえそうですが、こんな記述もあります。

 「アメリカの消費者の60%が、ペプシがより強い皮膚感覚を提供すると答えています。対照的に、コカ・コーラが独特だと考える人は55%しかいません。統計的不確実性を考慮に入れるにしても、100年余にわたるライバルであるペプシと比べて5%も低いということは驚くべきことです。」(p136)

 この言っていることの意味自体がわからないのですが、仮に差があったとして、それにどんな意味があるのか、本当に「驚くべきこと」なのかどうかもわかりません。測定できる、といっているものも、So What? と突っ込みを入れたくなります。

 あとは、感覚反応とブランド考慮との関係を共分散構造分析を使ったりして分析しているようですが、これも私は何か新しいことを言えるようなモデルだとも思えませんでした。

 長々と批判的に書いてしまいましたが、感覚の測定方法開発など、筆者が新しいことに挑戦しようとしている意図は認めなくてはなりません。しかし、誰も言ってなかったような新しい仮説を述べるというのと、半分思いつきのような感じで雑な議論をするというのは大きく異なってます。前者はウエルカムですが、後者は「だから何?」という感じになってしまうでしょう。

 とはいえ、感覚が大切だという基本主張は、きっとマーケティングに携わるすべての人が考慮しなければならないポイントだと思うし、ここに書いた感想も私の意見なので、実際に読んだみなさんは私とは全く異なる印象を持たれるかもしれません。
 期待を大きく持って読むと、少し裏切られる気がするかもしれませんが、多少問題あるかな、という目で読むと、意外と発見があって面白いかもしれません。

 この分野にご興味のある方は、ぜひ直接ご自分の目でお確かめください。


☆マーチン・リンストローム著、ルディー和子訳「五感刺激のブランド戦略」(2005年)ダイヤモンド社

五感刺激のブランド戦略

 このブログでも何回か述べてきたことですが、マーケティングにおいては「消費者を理解する」ことの重要性が常に説かれます。同時に、消費者を理解することの難しさと限界もしばしば語られます。だからこそ、マーケティングに携わっている人たちは、さまざまな方法・視点を取り入れて「消費者理解」の高みへと到達しようとして来たわけです。
 例えば、以前紹介した「心脳マーケティング」という本の中では、「無意識」に焦点を当て、独特の消費者リサーチ方を導入することで消費者をより「正しく」把握しようとしていました。定性調査を重視した「コンシューマーインサイト」発見の重要性も浸透してきています。

 こうした中において筆者の立てた問いは、では、マーケティングの最新の考え方では「消費者理解」に対して、どんな方法で取り組み、どこまでわかるようになっているのか? ということでした。
 この本は、マーケティングや消費者理解に関心のある人だったら誰もが感じるこうした疑問に対して、さまざまなケースを取り上げながら、自らの疑問を解きほぐすように、一つ一つ答えていったものです。取り上げているテーマも、消費者リサーチにとどまらず、需要予測、「ブーム」の問題、プライシングの心理、CRMなど多岐に渡り、それを心理学、社会学、経済学、果ては大脳生理学やネットワーク理論、あるいは複雑系理論の知見を紹介しながら、「消費者理解についての今」について説明しています。事例も豊富(海外事例から江戸時代のエピソードまで! 筆者の博識ぶりに驚かされます)で文章も平易なので、とても興味深くがわかるのではないかと思います。何より、筆者自身が疑問に思っていることを自ら解いていく、という姿勢が全体を貫かれ、筆者の目線で考えていけることが、難しくなりがちなことをわかりやすくみせています。

 筆者のルディー和子氏は、最近出版された「ポストモダン・マーケティング」、あるいは「五感刺激のブランド戦略」など、マーケティングの新しい、でもちょっと辺縁に属するような本の翻訳を手がけてらっしゃる方で、この本の中身にもそれらの本の影響がうかがえます。

 さて、では筆者の立てた問いに戻ると、最新の「消費者理解」というものはどこまで行っているのでしょうか?

 私自身印象に残った2つの話題から説明したいと思います。「ニューコークの導入失敗事例への誤解」と「情報のカスケード」という話題です。

1.ニューコークの失敗はブランド軽視ではなかった?
 1985年のニューコーク導入事例は、たぶん最も有名なマーケティングの失敗事例だと思います。通常この失敗は、商品の味覚よりも消費者の心の中にあるブランドの方が大切だ、というブランドの重要性を語る文脈で取り上げられます。しかし真の失敗理由はそこにはないと筆者は説明します。

 「ニューコークは最初から評判が良くなかったような印象を受けますが、実際には、ニューコークが4月23日に発売されたとき、最初の頃は、消費者の評判はおおむね良いものでした。コカ・コーラは過去10年間毎週900人の消費者サンプルの調査を長年続けていたのですが、その調査結果も『ニューコークを飲んでみた。好きだった。また試してみたい』というものでした。コークに対する消費者調査を長年続けている第三者調査機関の5月の調査を見ても、コークのブランドイメージは過去数年間で初めてペプシのイメージを上回る快挙を成し遂げています。」(p33-34)
 「コークの熱狂的だったファンが不満を声にしたことは確かです。(中略)こういった不満は時間がたてば沈静化していくだろうとコカ・コーラの経営陣は考えていました。予測できなかったのは、メディアの動きと、そのメディアに影響を受けた一般消費者の動きでした。熱狂的ファンが古いコークを探そうと四苦八苦する有様をメディアが大々的に取り上げ、それが、それまでクラシックコークが市場から消えることにさして反対しているようには思えなかった一般消費者を巻き込む形になり、騒ぎが大きくなりました。そして、大きくなった騒ぎをまたメディアがトップニュースで取り上げるといった形で、6月にはクラシックコーク再発売を求める運動が全国的に広がってきたのです。」(p34)


 長くなりましたが、面白い話なのでもっと引用します。

 「ニューコークが発売されたとき、最初、人々は自分の意見を他人には関係なく独立して決定して、ニューコークはOKだと大半が考え、不満があるひとの多くも黙って企業のすることに従ったのです。ところが、時間が経過するとともに、熱狂的なファンの声を報道するメディアや、また、怒り狂ったコークファンとの交流に刺激されて、大半が自分の意見を変えたのです。」「ニューコークが発売された最初の頃、特に若い世代の消費者からの反応は非常に良かった。調査では、十代の子供たちの75%が新しいコークの味が好きだと答えたんです。ところが、時間がたつとともに、大人たちに影響されて否定的な態度を取るようになったのです。」(p34)

 う〜ん、つまり、失敗の原因は味でも、ブランドへのこだわりとも言えず、メディアにあおられて人々が熱狂して、そのまま大きな声になってしまったこと、だというわけです。
 ロングセラー商品が時代に合わせて味覚を少しずつ変えることはよく行われることです。コカコーラも黙って味覚を少しずつ変えていたならば、今頃は世界中のコカコーラがニューコークの味になっていた可能性もあるわけですが、そういう選択はせず、最初から大々的なニュースにしてしまったことが反応を引き起こした原因として大きかったのかもしれません。
 とはいえ、よく考えらればこうしたことは身近でも頻繁に起きます。企業の不祥事で極端な買い控えが起こるのが典型ですね。中身をよく知らなくても、メディアで煽られてムードで動いてしまうこと、よくあります。先日の衆院選挙での自民党の圧勝なども似た現象かもしれません。

 経済学では、こうした現象を「情報のカスケード(情報の雪崩現象)」と呼ぶそうです。

2.情報のカスケード
 いわゆる「ブーム」のことだと思えばいいのだと思いますが、もう一つ面白い事例が取り上げられています。1958年秋に大流行した「フラフープ」です。

 「大丸百貨店のオモチャ売り場の担当者が、アメリカで流行っていると聞いて、日本でも売れるのではないかと話題づくりの仕掛けをしました。若い女性を集めて一週間かけて特訓し、その成果をマスコミも呼んで大々的に披露。翌朝の新聞にミニスカート姿の女性が腰を振る姿が掲載され、それをきっかけに爆発的にヒットしました。生産していた(中略)工場側は、アメリカの場合を参考にどれくらいブームが続くかを冷静に考え、最低三か月と予測しました。しかし、腰を動かしすぎて体調を崩す子供や、道路で遊んでいて交通事故にあう子供がニュースで報道され、三か月という予想よりも早く、実質一か月半でブームは終わってしまいました。倉庫には返品の山。」(p135)

 なんとあれほど有名なフラフープも、ブームはたった一か月半だったそうです。

 こうした現象、つまり「他の人たちがある商品を買っているというだけの理由で、多くの人たちがその商品を買おうという現象」(p141)が、「情報のカスケード」と呼ばれるわけです。商品固有のずば抜けた特質があったというよりも、人気である、ということがより多くの人気・成功を呼ぶ、というわけです。

こうしたこと、商品の機能も横並び、広告なども変わり映えしないと言われ、商品のライフサイクルがますます短くなっている現代消費社会を支える消費者像を考える上で示唆に富んでいます。

 情報のカスケードの発生は、ちょっとした「偶然」に支配されるということのようです。小さな偶然が積み重なり、マスコミで拡大されることで大きなうねりになっていく。こうした現象を引き起こしている消費者は、心理的にどうだ、社会学的にどうだ、ということはなく、単純に周りを見ながら周りに影響されて行動している消費者像に他なりません。
 そしてこうした、「単純で、周りを意識する消費者」像が、実は最新のネットワーク理論や複雑系理論から導き出される像だ、筆者は紹介しています。

 最新のマーケティングによる消費者理解はどんなもんだ、という入り口から入って、消費者は周りに流されやすい想像以上に単純ででたらめな存在だ、という結論にたどり着きました。
 となると、さまざまな学問的見地から「消費者の真の姿」を理解しようとする真摯な試みは良しとすべきですが、結局はそんなことをしても、消費者を動かすのに結びつかないのかも...ということになります。むしろ、流す情報が偶然を重ねて、マスコミにも取り上げられて、なんとなく話題になっていく、という動きを作る方が有益かもしれません。
 もちろん、実務的にはそっちの方も難しいわけですが、この本には、そのために誰に最初に情報を流すのがいいのか、などということも少しだけ書いてあります。

 考えてみればそうかなと思うことですが、ある意味新しい視点です。消費者を理解しようと努力したけど、なんとなく壁に当たっているような人、視点を変える意味で読むと面白いと思います。

☆ルディー和子著「マーケティングは消費者に勝てるか?」(2005年)ダイヤモンド社
マーケティングは消費者に勝てるか

 この本、広告を扱った本ですが、これまで紹介してきたものとはちょっと毛色が違います。広告に登場する金融商品がテーマであり、広告での誘い水とは裏腹なその悪徳ぶりを半ば告発している本です。普段から銀行や証券会社に対して、にがにがしく思っている人や痛い思いをしたことがある人には、溜飲が下がる本かも知れません。

 「はじめに」にこんなことが書いてあります。

 「日本で営業している(外資系を含めた)銀行・証券会社・保険会社の大半は、『とりあえず、騙せる客は、できるだけ騙してぼったくる』ことを、経営の基本としています。そのことを正しく認識すべきです。」(p7)
 「筆者は、銀行や証券会社や保険会社などの金融機関は、歓楽街にある“風俗産業”と同じような商売のやり方をしていると思っておけば、おおむね正しいイメージで付き合うことができる、と考えています。」(p7)


 冒頭から過激な本です。しかし続いて、

 「聖人君主ならぬふつうの人間にとって、カネと異性に対する欲望は、判断力を狂わせる魔力をもちます。そのため、銀行や証券会社や保険会社も、風俗店も、『欲望が判断を狂わせる』という点をうまくついて商売を行えば、ビジネスに成功することができます。とりわけ大切なのは、お客になりそうは人に対して、『同じような店(あるいは金融機関)はいろいろありますけど、うちが一番いいですよ』ということをいかにアピールするか、つまり“宣伝”です」(p8)

 なるほど。そういうことであれば、言い得て妙です。

 「預金や投資信託などの金融商品の広告を見ていると、顧客の欲望(楽してカネを増やしたいというスケベ心)を刺激するためのテクニックは、なかなか巧妙になってきたように感じられます。(中略)本書は、金融機関による金融商品広告を取り上げ、その読み方を解説するものです。(中略)金融広告商品のウソをみつける能力がよりいっそう身につくでしょう。」(p10-13)

 筆者の意図が明らかになりました。
 つまりこの本は「金融商品広告」の読み方を解説したものです。ただし、取り上げられている広告(すべてが実際に出稿されていた広告を元に作った架空の広告ですが)は悪質なものが多く、利用者に対する注意喚起とそれを出稿する(つまりその商品を売っている)金融機関への批判にもなっている、という本です。ちなみにこの本で紹介されている「金融広告」は、テレビCMでよく目にする消費者金融やローンの広告ではなく、ある程度の資産を持った人が投資運用のために銀行や証券会社から購入する、外貨預金、投資信託、年金保険などの金融商品の広告です。マネー雑誌や経済新聞などに出ている「利率○○%」「運用実績△△」などをうたった商品、といえばどんなものが想像していただけると思います。

 中身の大半を占める具体的広告表現の読み解き方については、金融の専門的な話なので関心に応じて読んでいただければいいと思うのですが、例えば外貨預金の高金利の表示が年利換算すると低かったり、為替手数料を考えると利回りが低かったりする商品の例などは、なるほどと思いますし、外国国債をベースにして高利回りをうたった投資信託が、実は同じ期間その国の国債を直接購入した方が利回りもいいし、手数料も不要でかえってお得ということになると、そういう商品を平気で広告している会社は、なんだろなぁという気にさせられてしまいます。
 全体を通じての筆者の主張を要約すると、金融広告は文字が小さくなっているところに注意が必要。デカデカと利回りの高さをうたう商品は実は、小さい注意書きの部分に書いてあることで、それほどお得なものになっていないことが多い。なお言うと、そもそも一般消費財と異なり、広告している金融商品は、顧客にとって不利なものがもともと多いので、欲につられてそういう商品は買わないほうがいい、というようなことになると思います。

 もちろん販売している金融機関は、購入者の責任で購入するわけだし購入者が儲かる場合もあるから問題はない、と主張するのでしょう。しかし、本書での筆者の主張が正確だとすると、顧客に誠実なふり(儲けさせるふり)をして実は顧客の期待を最初から裏切るつもり(最初から儲けの大部分を自分たちが取るつもり)で商品を販売する、というのは他の商品カテゴリーでは考えにくいことだし、そうした商品の広告は、広告全体の信頼性にも関わる問題です。
 昔の「株や」を彷彿とさせますね。一部だとは思いますが、今でも金融機関がこんなことをしていて、彼らの高収入がこんなことによりもたらされているのかと思うと、気が滅入ります。

 さて、あとがきにもこんなことが書いてあります。

 「広告の使い方がうまい金融機関は、エサに引っかかる客と引っかからない客を選別するための道具(学生のクラスを分けるためのテストのようなもの)として、金融広告を活用しているように思われます。(中略)ある程度は社会的な評判を気にしている金融機関であれば、はっきりとしたウソはつかないように(ただし、知られたくないことはなるべく知らせないように)気をつけながら、客の錯覚を誘う広告を作成しています。そういった広告に引っかかる客が一定以上存在し、金融機関に利益をもたらす限り、今後もぼったくり金融商品とその広告はなくならないと思われます。」(p497)

 なるほど、こういう広告の使い方は凄いですね。きっと一度“ぼったくり商品”を購入した人はリスト化されて、DMや勧誘の電話が何度も来るようになるのでしょう。いくら“ぼったくり”な商品の広告を出稿していても、世の中全般から問題の声が上がらないのは、引っかかるのが一部の人に集中しているからなのかも知れません。

 知能犯は人の欲につけ込もうとしているわけです。世にうまい話はなし、と思うべきなのでしょう。

 とはいえ、実際にこうした商品を買った人のその後が知りたいです。筆者やワタシへの疑問も含めて、実際にこうした金融商品買った経験のある人は是非コメントをお寄せください。

☆吉本佳生「金融広告を読め」(2005年)光文社(光文社新書)
金融広告を読め どれが当たりで、どれがハズレか

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