広告代理店の現場からみた読書案内

広告・マーケティング関連の書籍を、広告業務の一線で働いている立場から紹介・書評します。

June 2005

 今年もカンヌ国際広告祭が終わりました。Film部門では、イギリスホンダの"GRRR"という作品がグランプリを獲ったようです。ディーゼルエンジンの広告ですが、このインド風(?)の色彩感覚と、独特のメロディーは印象に残ります。
 最近のグランプリは去年のPS2とか、ナイキのやつとか、あまりにも比喩が行き過ぎていて、広告の仕事をしていてもクリエーターでない私は、何が良いのやら理解に苦しむところがありました(こういうのはなかなか周りに素直に言えないんですよね。必死に良さの理由を自分なりに考えてました)。その意味では今年のクランプリは商品説明がストレートで、広告の原点に戻ったようでした。好感を持ちました。

 ところで、仕事でお客さんと話をするときも、社内で他のセクションのメンバーと話をするときも、カンヌの話題のような「基礎教養」は不可欠です。よくアンテナ張ってるな、と思われ一目置かれます(たぶん)。
 ブランドについての有名な失敗談も、恐らく「基礎教養」の一つでしょう。今日紹介する本はアメリカの本ですが、そうした知っていて決して損はしない有名な失敗談を、すごーく古いのを含めていろいろ集めています。

 有名なところでは、「ニューコーク」の失敗でしょうか? 私はこの失敗談をリアルタイムで見ていたので印象深いのですが、もう本の中の話としてしか知らない人も多いことでしょう。
 1985年4月、競合のペプシに追い上げられていたコークは、大規模な消費者調査の結果、今の味よりやや甘めの味の方が高い支持を受けるとの結論に達し、オリジナルのコークを販売停止にして、新製法の「ニューコーク」に全面的に切り替えると発表しました。すると、、、

コカコーラの本当の問題は、自分のブランド力を過小評価していたことによる。オリジナルのコカ・コーラの販売停止が発表されたとたん、多くの米国人が新商品をボイコットした。オリジナルがもはや手に入らないことに消費者は怒り狂ったのだ。ニューコークの売上げも伸び悩んだ。(p18)

 結局わずか3カ月で決定を覆し、オリジナルのコカ・コーラを復活しました(Classic Cokeという名前になってしまいましたが)。

 この事件は、ブランドが商品の名前以上であるということをはっきりとわれわれに見せ付けた事件で、その後のブランドブームの一つの背景になったともいえるでしょう。
 このほかにもゼロックスのコンピューターや「.com」企業の失敗例などいろいろ載っています。全部読むと、何をしてはいけないか、ということがなんとなく感じられるようになるはずです。

 日本でもありましたね。有名なところでは「雪印事件」(2000年)。ブランドがいかに脆いのかということを私たちに知らしめさせた事件でありました。ニューコークの話に似た「キリンラガーの生化」(1996年)という戦略も、いまだに当否が問われる戦略変更だったと思います。

 こうしたことをたくさん知っていると、プレゼンの質疑応答のときなど箔が出ていいですよ。

☆マット・ヘイグ著、田中洋・森口美由紀訳『あのブランドの失敗に学べ!』(2005年)ダイヤモンド社

あのブランドの失敗に学べ!

思い起こせば、90年代後半から始まった空前のブランドブームも最近は下火になりました。あれは「ブランドバブル」だったのかも知れません。当時はブランドに関するさまざまな本が出版され、さまざまな意見が出されました。そして「ブランド」こそすべてであり、「ブランド」を何とかすれば、すべてが解決すると考えていた人も少なくなかったと思います。
実際そういう姿勢のクライアントさんは少なくなかったですし、セミナーなどでは、そういうことを高らかに宣言する人も少なくなかったと思います。

しかし、派手にブランディングをした会社(例えば、Inspire the Nextの某電機メーカー)や最強のブランドを保有していると言われた会社(例えば最近トップが外国人になったAVが本業のメーカー)が、その後業績が???になったりして、ブランドを良くしようとすることは会社の業績をよくすることとイコールではなさそうだし、現在強いブランドを持っていることが、将来の業績を保証するわけでもなさそうだ、ということがわかってきました。ブランドが魔法の杖でないことにようやくみんなが気づいてきたわけです。

「8カ月の時間と膨大なエネルギーをブランド戦略に費やして、変わったのはロゴとタグラインだけたった」投資サービス会社CEO(p28)

「コンサルタントを雇って基本ブランド戦略を策定したが、広告代理店はわが社の能力以上のことをブランド・プロミスにして広告キャンペーンを行った。その結果、顧客は失望し、社内ではコンフリクト(衝突)が生じ、ブランドへの信用は失われてしまった」公益事業会社CEO(p29)

これはアメリカの話なのですが、日本でも頭良さそうなブランドコンサルや広告代理店に騙されて(結果的に)、ずいぶんお金とエネルギーを使ってしまった会社は、少なからずあったと思います。

ところで、この本の面白いところは、こうした「ブランドバブル」の問題点を認識して、どうもそこから出発しているというところです。

「60分であなたもブランド戦略家」のタイトル通り、さっと読める本ではあります。しかし、「ブランドとは何か?」「ブランド構築はどう進めればいいのか」などという、やっぱり大切なベーシックなことについて、それなりにきちんと書いてあります。さっと読める本にしては、「ブランド」について悩み抜いた人が、「そーなんだよねー」と言えるような、かなり哲学的な情報が満載です。

ところが、「ブランドバブル」の洗礼を受けておらず、これからブランドに学びたい、という人にはかえって難しいかもしれません。文中ではさまざまな先哲(?)たちの「ブランド」に対する言葉が数多く引用されていますが、いやぁ、いろいろな人が本当にいろいろなことを言っています。世の中における、ブランドのわかりにくさをそのまま写し取っているようなところがあります。それらを理解するのは困難だと思います。

きっと、著者がブランドに悩みすぎているからでしょう。
「ブランドの迷いの森にようこそ!」。私たちをそんな風に誘う一冊のように思えました。

☆イドリス・ムーティ著、青木幸弘訳「60分であなたもブランド戦略家」(2005年)宣伝会議


60分であなたもブランド戦略家

この本、変なタイトルですが、「紫の牛」とは、要するに「ありえないもの」のこと。ありえないもの、つまりすごく目立つようなものを売っていかないと、競争過多で、いつもお腹いっぱいの現代社会では消費者に買ってもらえないし、結果として生き残れないという主張です。さらに、ありえないものだから、最初は「イノベーター」層、つまり市場の5%にも満たない「オタク層」に受け入れられるようにしなさい、とも言っています。

この主張、前回紹介した「ポストモダンマーケティング」の主張と似ていますね。でもこの本のほうが過激なことをずっとお行儀よく言っているので、気持ちよく読むことができます。

著者のセス・ゴーデンは、かの一世を風靡した「パーミッション・マーケティング」の著者でもあります。ありえないものを「紫の牛」(!)に例えるあたり、シニカルでセンスありますね。

二〜三年前、家族でフランスをドライブ旅行していたときのこと、高速道路のすぐそばの絵のように美しい草原で何百頭もの牛が草を食んでいる様子に魅了された。(中略)だが、二〇分もしないうちに、牛のことを気にとめなくなった。どの牛も同じようで、驚きはなくなってしまった。もっと悪いことにうんざりしたのだ。牛というのは、しばらく見ていれば退屈するものだ。(中略)しかし、「紫の牛」がいる。それなら興味を引くだろう(しばらくは・・・・・・)。(p10-11)

そりゃそうですね。最後の「しばらくは・・・」というところがいいです。「紫の牛」とはいえ、やはり限度があるもの。しかしそれでもチャレンジしないとダメなわけです。マーケティングはいつも理想と現実との板ばさみであって(きっとなんでもそうですね)、それをわきまえながら過激なこというスタイルがとても私的にはいい感じです。

もともとこの本の存在は、会社の同僚(女性)の話がきっかけで知りました。新規で担当することになったある化粧品メーカーさんへの訪問から帰って来た彼女いわく、「あのー、クライアントさんが、『あなたたち、紫の牛を見つけるのよ! ムラサキノウシ! わかった!!』っていうんですよー。『ムラサキノウシ』って何ですか?」。「ムラサキノウシ???」・・・。そこでネットで検索して、それは本の名前であり、上記で書いたようなものであることがわかりました。(しかし、突然「紫の牛を見つけるのよ」と言われた彼女は、困ったお客さんを担当することになったな、と思ったでしょうね。その後の経過は聞いていませんが・・・。)
クライアントさんが言いたくなるくらい、いい本ではあると思います。

とはいえ、著者はこんなことも書いています。

それではつねに「紫の牛」を生み出す絶対確実な方法が方法があるだろうか?(中略)もちろん、ない。
妙案はない。「紫の牛」をつくり出した会社もほとんどが、やがては不景気に見舞われているのを見ると、必ず実を結ぶものを列挙しているルール・ブックなどないことがわかる。この「紫の牛」を見抜くのがきわめて難しいのは、そのためでもある。(p110)


「紫の牛」は生み出すのも、維持するのも難しいということなのでしょう。
それだけに「マーケティング」というものは、データ解析ではなくて、絶えざるクリエイティビティの方がより重要だということになるのだと思います。

☆セス・ゴーディン、門田美鈴訳「『紫の牛』を売れ!」(2004年)ダイヤモンド社

「紫の牛」を売れ!

著者のスティーブン・ブラウンは「マーケティング」を激しく攻撃しています。訳者前書きに彼の主張が整理されているのですが、こういうことのようです。

・マーケティングで偉そうに言う「顧客第一主義」はうんざりだ。モノを売ることはきれいごとではないだろう? 顧客の奴隷になるのはやめた方がいい。
・コトラーなどの学者が本来創造的でエキサイティングだったマーケティングをビジネスライクで退屈なものにした。もはや「差別化」「セグメンテーション」「3C」「4P」などは役に立たない。くだらない商品やキャンペーンが次から次へと出てくるだけだ。
・顧客を無視したり、じらしたり、びっくりさせたり、目立つトリッキーな方法こそが大事なのだ!

マーケティングに慣れっこになった現代の消費者像として、サンフランシスコの広告代理店創業者のこんな言葉も引用しています。

「消費者はまるでコギブリのようです。われわれがマーケティングをスプレーすると、しばらくは効果があります。でも、彼らは必ず、免疫力、抵抗力を育成するのです」(p38-39)

批判されたコトラーとスティーブン・ブラウンとが「ハーバード・ビジネス・レビュー」誌で派手に論争をしたこともあるようで、彼は学会の反逆児としても有名なようです。

本書を読むと随所に彼の異端児ぶり、反逆ぶりが出ており、今のマーケティングって何か難しくてつまらないと日々感じている人にとっては、ひょっとすると面白いかもしれません。

しかし正直言うと、私はまるで共感できませんでした。例えばコトラーも言っているのですが、少々退屈な商品やキャンペーンが量産される現状があるとしても、それは「マーケティング」や「顧客主義」のせいではなく、単にそれをやっている人のせいです。マーケティングの知識を身につけたとしてもヒット商品が出ないのは誰でも知っており、マーケティングという活動ではレベルの高いクリエイティビティが要求される、というのは実際に携わった人なら誰でもわかる事です。

スティーブン・ブラウンの批判精神はよしとしたいし、もっとエキサイティングに! もっとクリエイティビティを! という主張は正論だと思うのですが、実際にはそれは「マーケティング」の基本的な考えの上にプラスオンされるべきもので、「マーケティング」それ自体を否定するのは課題の設定が間違っているとしか言いようがありません。「言いがかり」に聞こえてしまいます。

そもそも、マーケティング的な知識やものの考え方は、仕事をしていく上での「基礎体力」です。私が新卒で今の会社に入社した時、すぐ上についた上司はこの言葉をよく使っていました。スポーツで基礎体力がない選手が勝ち続けられないように、マーケティングでも基本的な訓練の乏しい人はまぐれで成功することはあっても、それを続けるのは難しいのではないかと思います。まずは身に着けることです。その上で、彼の言うような実践を試してみるのがいいのではないでしょうか。

言いがかり的に「偉そうなマーケティングを攻撃する」彼の姿勢は、まじめに誠実に日々の仕事に向き合っている多くのマーケティング担当者を愚弄するかのようで、かえってとても「偉そう」に見え、その矛盾が共感できない(胸くそ悪くなる)最も大きな部分だったのかも知れません。

それから、この本の邦訳題ですが、現題は"Free Gift Inside"となっていて、「ポストモダンマーケティング」とはどこにも書いてありません。出版社は「ポストモダンマーケティング」とした方が売れると思ったのでしょうが、これを読んだ人が、これがポストモダンマーケティングなんだ、と思ってしまったら、「ポストモダンマーケティング」という概念がかわいそうですし、これまでこの概念を日本に紹介してきた人もかわいそうですね。現代マーケティングに対する問題意識は共通していても、アプローチはかなり違うような気がしますから。私自身はもともと「ポストモダンマーケティング」には懐疑的ですが、この本の主張よりはもっと課題に真摯だと思いますから。

☆スティーブン・ブラウン著、ルディー和子訳「ポストモダンマーケティング」(2005年)ダイヤモンド社

ポストモダン・マーケティング―「顧客志向」は捨ててしまえ!

今回は、広告業界に籍を置いていれば誰でも一度は聞いたことがある、わかったようでわからない言葉、「インサイト」をテーマにした本です。

本の紹介の前に「インサイト」について簡単に説明したいと思います。

「コンシューマーインサイト」とも呼ばれ、直訳すると「(消費者)洞察」となります。欧米では以前より普通に使われていたようですが、日本では90年代末ごろから広がってきた言葉です。消費者への商品の購入を促すための、消費者に関する発見点で、消費者の「心のツボ」などと呼ばれています(押すと反応する、という意味ですね)。
「心のツボ」と言われても「???」ですが、実はこの言葉定義が曖昧で、人により言う内容が異なっている状態です。輸入語を曖昧なまま使うのは、広告業界だけではないでしょうが、日本人の悪いところです。ちなみに、私は「ある行動を起こす隠れた(無意識的な)動機」と理解するようにしています。モノを買う行為だったら、ある特定のモノを買う表に出ない動機ですね。(無意識にアプローチすることについては以前紹介した「心脳マーケティング」という本を参照してください。)

広告業界で「インサイト」が注目されるのは、インサイトが優れた広告コミュニケーションに直結するからです。

インサイト発見に携わる職種の人を、欧米では「アカウントプランナー」と呼んでおり、営業、制作と共に広告開発のための重要な職種と考えられています。欧米でアカウントプランナーがインサイトを発見して優れた広告キャンペーンを生み出したケースが、有名な"Got Milk"キャンペーン(調査対象者にミルクを2週間飲まずに過ごすよう依頼し反応を見たところ、クッキーやシリアルがおいしく食べられないなどの意見が出たことから、ミルクはそうしたものをおいしく食べるのに不可欠の飲み物だったというインサイトを基にしたアメリカのキャンペーン)を始め、いくつも知られています。この本の中でも、そうした例が紹介されています。ちなみに日本では伝統的に「マーケ」と呼ばれていた職種がアカウントプランナーに近いとされています。

それだけではなくインサイトが注目される理由は、あまりこういう言い方をする人はいないのですが、プランナーにとっては、これを発見する瞬間が「生理的快感」であることです。私も「マーケ」と呼ばれる職種の経験が長いのですが、インサイトを発見すると何かもやもやしていたものが急に晴れてすべての見通しが立つような気がするものです。以前私のところに会社訪問に来た学生に、「あなたが仕事をしていて一番面白いと思うときはどんな時ですか?」と尋ねられ、「コンペで勝利するのもいい気持ちだけど、消費者の何か大事なものを見つけ出して、ああこれで行けそうだ!という企画の見通しが立った時」と答えたことがあります。発見したインサイトが真実かどうかは検証できるものではないので、一種のひらめきなのですが、何か自信に満ち溢れる瞬間となります。詰まっていたものが取れてとてもすっきりする感じです。

さて、前置きが長くなりましたが、この「インサイト」についてなぜそれが重要なのか、どうしたら発見できるのか、また著者が実際に携わったケースなどについて書かれているのがこの本です。特に筆者が直接関わった事例(ハーゲンダッツとシックカミソリのケース)は、こんな風にしてインサイトが実際の広告キャンペーンに生きてくるんだ、ということが分かって面白いと思います。

最後に、本題からまたまたそれますが、私がこの本を読んでなるほど!と納得した部分を抜き出します。いわゆる「おもしろいCM」についての見解で、昔から「CMが面白くても商品が売れないケースがいっぱいあるから、面白CMは悪だ」という論調がありまが、それに対して、

たしかに「おもしろい」だけでは「売れない」だろう。ただ、いまどきの消費者は、製品とまったく結びついていないような、単なる受け狙いの広告を「おもしろい」とは感じなくなっている。何を言いたいのかわからない、独りよがりの広告と感じてしまう。単なるイメージ広告に関心を持たないのと同じである。
製品やベネフィットをうまく伝えるからこそ「おもしろい」と感じるのだ。つまり、消費者が「おもしろい」と感じる広告は「売れる」広告なのだ。(p189)


なるほど。独特の解釈です。作り手の考える面白さと受けての考える面白さは分ける必要があるということかも知れませんが、CMはエンタテインメントの側面もありますから、それを忘れてはいけないのだと思います。

☆桶谷功「インサイト」(2005年)ダイヤモンド社

インサイト

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