広告代理店の現場からみた読書案内

広告・マーケティング関連の書籍を、広告業務の一線で働いている立場から紹介・書評します。

 北京オリンピックの熱戦が続いているこの頃です。別に普段は何の関心もないスポーツ種目も、オリンピックでは日本人が出ているだけでなぜかテレビを見てしまいます。見ているうちに、そのスポーツにも興味が出てきて次第に引き込まれていったりします。そういう人は多いのではないでしょうか? そういえば、かつて冬季オリンピックで「カーリング」の日本チームが活躍してが急に注目を浴びたことがありました。
 まったく関心を持たれなかったのに、急に人気になる。場合によっては競技人口も増えてくる...。今回のオリンピックでもそんな競技が出てくるかもしれません。

 スポーツって不思議な力を持っていることを改めて感じさせられます。

 そういえば意識しなかったですけど、今回のオリンピックがらみに限らず、CMキャラクターとしてスポーツ選手が登場したり、スポーツをモチーフにしたCMというのは少なくないですよね。私たちの生活に何気にスポーツが入り込んでいる証でしょう。

 さて今回ご紹介する本も、前回に続いてスポーツマーケティングの本です。この本はアメリカのビジネスマネジメント向けに、さまざまなマーケティング課題に対して、彼らの意思決定・課題解決に参考になるケーススタディを、アメリカのスポーツにおける事例から抜き出してまとめたものです。
 その事例、というよりもエピソードに近いのですが、非常に豊富なのが特徴です。例えば前回紹介したアメリカのスポーツマーケティングに関する本が、過去のスポーツマーケティングにおける研究成果に基づいて何かを語ろうとしているのに対して、こちらはアメリカのあらゆるスポーツの事例をとにかく積み重ねて何かを語ろうとしており、前者が「スポーツマーケティング自体を語る本」であり、これは「スポーツでマーケティングを語る本」という視点の違いはありますが、対照的な本だと言えます。

 ところでちょっと話が飛びますが、北京オリンピックの中国つながりで言うと、今から約2500年前の春秋戦国時代、中国各地で「諸子百家」と呼ばれる思想家たちが現れ活躍しました。いわゆる孔子・孟子などの儒家、老子・荘子などの道家などです。彼らは各地の諸侯をまわって自らの思想を説き、その思想の実現と自らの“雇用”を図っていたわけでした。ここで「思想を説き」と書きましたが、これは今で言う「プレゼンテーション」に当るものだと思います。いや、かつては、採用されれば自らが宰相(首相)などの地位と権力を得るものであり、採用されなければ自らの命を落とすことさえあるものだったから、現代の「プレゼンテーション」という言葉からは想像できないくらいシビアなものだったと思います。

 さてその時代の「プレゼンテーション」では、どんな方法で諸侯を説得したのしょうか。当然今と違って「データ」のような客観情報はありません。ではどうしたかというと、どうも「事例」や「ケーススタディ」を素にして説得していたようなのです。
 史記などを読むと、よく「かつて○○では△△して成功し、××して滅亡した」などという言い回しで諸侯を説得している場面が出てきます。データなどのない時代ですから、2500年前から説得力を上げる方法として「過去の事例」というのが使われていたのですね。

 その意味では、この本も数千年の歴史の重みを持つ「事例による説得」という“術”を使って書かれた本の一つだといえます(別に皮肉って言っている訳ではなくて、北京オリンピックを見ながら読んでいたので、古代中国との接点を何か感じてしまったわけでした)。

 もちろん現代のプレゼンテーションでは、さすがに事例だけでは説得はできなません。データが基本だし、事例の事実関係もネットで検索すればいろいろなことがわかりますから、自説に都合のいいように事例を多少曲げて使ったりすることも難しい時代です。とはいっても、プレゼンテーションの最中に、適切な事例をさらっと言ったりすると説得力が高まる、ということは間違いなくあるでしょう。

 その意味で、アメリカのスポーツエピソード満載ですので、スポーツに興味があり、普段からスポーツネタを使ってプレゼンをしているような人には、ネタの仕入れとして、いいかも知れません。
 もっとも、題材はあくまでマイナーなものも含むアメリカのスポーツです。当然日本の読者を想定して書かれているわけではありません。せっかく仕入れて使ってみても、相手がピンとこない話の方が残念ながら多いかも知れませんが。

☆デビッド・M・カーター、ダレン・ロベル著、原田宗彦訳『アメリカ・スポーツビジネスに学ぶ経営戦略』(2006年)大修館書店

 アメリカ・スポーツビジネスに学ぶ経営戦略

 いよいよ北京オリンピックが始まりました。昨日行われた開会式をテレビでずっと見てましたが、凄かったですね。まさに中国の国威発揚の場であり、諸外国に対する中国PRの場とというのをビンビン感じました。

 何もかもスケールが大きく、もちろん演技・演出はすばらしかったと思いますが、過去あそこまで自国のPRを意識したオリンピックの開会式はあったのかと思うくらい露骨に「中国の素晴らしさ」をうたいあげていました。“One World, One Dream”という今回のオリンピックのスローガンに関わらず、“Our World, Our Dream”という方がふさわしいのではと思ったりしました。あとマスゲームには非常に多くの人が動員されていました。「人の数で勝負」というのも、どこに行っても人が多い中国らしい側面だと思いました。

 入場行進も参加国が過去最大だったせいもあるのか、だらだら長く、入場行進の脇で列になって手を上げたり下げたり踊っている中国人の若い女性スタッフの顔にも疲労がありありと見えました。私も最後の方は見ていてくたびれた開会式ではありました。

 そして、最後の聖火点灯。人がリフトでスタジアムの上まで吊り上げられ、なおかつそのままスタジアムを一周するという度肝を抜いた演出。「すごい」というよりも「安全面は大丈夫なのか?」「万が一聖火を落としたらどうするのか?」「風で聖火が消えないのか?」とかそんなことばかり気になりました。日本だったら企画の段階で「危険」の一言で却下されているでしょう。さすが雑技団を生んだ国、さすが人権意識がもう一つの国、と思ってしまいました。
 スタート以来世界中を騒がせ続けてきた今回の聖火リレーにふさわしい(?)お騒がせぶりでした。

 その最後の聖火ランナー。誰がやるのか話題になっていましたが、結局それを務めたのは、李寧氏。中国語で「Li-Ning」と発音します。ロサンゼルスオリンピックの金メダリストだとのことですが、「Li-Ning」といえば多くの中国人は「オリンピックのメダリスト」というよりも、スポーツウエアやスポーツシューズメーカーとしての「Li-Ning」を思い起こすに違いありません。
 この李寧(Li-Ning)社、李寧氏が起こした会社で、国産ブランドスポーツシューズで現在中国国内シェアNo1の会社だそうなのです。特に北京などでは、このブランドのロゴをつけたウエアや靴を着たり履いたりしている人をよく見かけます。
 その街で見かけるロゴがこれ。
Li-Ning logo


 あれ? と思った人いらっしゃるのでは。あのアメリカの有名スポーツメーカのロゴに何となく似てはいませんか?
 そしてそして、この会社のスローガンが「Anything is Possible(中国語:一切皆有可能)」。
 あれ? これはドイツの有名スポーツメーカーのスローガン「Impossible is Nothing」にどこか似ていませんか?

 もちろんLi-Ningブランドはニセモノではありませんし、「パクリ」をしたのでもないのかも知れません。
 しかし、オリジナリティとか自分の会社の製品に対するプライドのようなものはないのかな〜、と正直思います。スローガンも、アディダスの「Impossible is Nothing」の方には、一種の反骨精神のようなものを感じますが、「Anything is
Possible」からはそうしたものは感じられません。むしろ一種の「夜郎自大」主義さえ感じます。力があれば何をやってもよいというような思想にもつながりかねないような。

 こうした、有名なものを何でもかんでも取り入れて、見てくれを良くすればいい、だって力があれば何でもできるじゃないか? という姿勢と、自国でやるオリンピックなのだから自国のPRをどんどんやるのは当然、というような開会式のマスゲーム演出の考え方は、何か通じるものがあるように思います。「中国らしい」としか言いようのないそういう「何か」を、最後の聖火ランナーに李寧氏が登場した時に極め付けで見た思いがしました。

 もっとも、「フットペインティングによる絵の作成」だけは掛け値なしに素晴らしい演出だと私は思いました。みんなが何かを作る、というのがやはり美しいですよね。

 北京オリンピックも近づいて来たことですし、またスポーツマーケティングの本を読んでおこうと思いました。
 そこで手にとったのがこの本。
 「スポート・マーケティング」と書いてありますが、もちろん誤植ではありません。この本ではこだわりがあって、「スポーツ・sports(複数形)」ではなく「スポートsport(単数形)」を使っているのです。

 「スポート・マネジメント北米協会によれば、『スポーツは、ゴルフやサッカー、ホッケー、バレーボール、ソフトボール、体操などのような個々別々の活動の集合体を意味する』。(中略)しかしながら、スポートは、集約的な名詞であり、より広くすべてを包含する概念なのである。」(p5)

 とのことです。確かに「スポーツに関連するもの全部」を包括的に学術的な視点から論じられることがこれまであまりなかったのかも知れませんので、このこだわりは一つの見識ではあるのでしょう。 ...もっとも日本語にしてしまうと、かえって分かりづらくなってしまいますが。

 本自体は大学生向けのテキストブックです。スポーツマーケティングに関わるあらゆる領域を網羅しており、元の原書はアメリカでも定評のあるテキストとのことですから、最近はスポーツマーケティングが大学でも人気らしいですし、この領域を勉強したい学生さんにとってはいい本だとは思います。ただ実務家向きではないでしょう。なにしろ、この本は580ページにも及ぶ大著なのですから。

 話が少しそれるかも知れませんが、読んでいて思ったのは、「500ページものマーケティングの本の意味」という点についてでした。
 説明が必要かも知れません。マーケティングの領域は広いので、しばしば特定テーマに焦点を当てた、例えば「○○マーケティング」(例えば、WEBとか、ダイレクトとか、飲料とか...)というタイトルの本が出版されることがあります。そうした本は、普通一般的なマーケティングの基礎概念の読者の理解を前提とし書かれており、例えば「ダイレクトマーケティングにおいてターゲットをどう考えればよいのか」という問題設定はなされますが、「ターゲットとはそもそも何か?」という説明はしないものです。その分だけ分量もコンパクトになり、読みやすくもあるわけです。一般的なマーケティング概念を説明する本が「基礎」だとすると、その「応用」的な位置づけとも言えます。
 ところがこの本は、「マーケティングで言うところのターゲットとは何か?」と「スポーツマーケティングでターゲットはどう考えればよいのか?」という、「基礎」「応用」の両方が盛り込まれているところに特徴があります。もちろん「この1冊だけ読めば十分」という親切設計であるとも言えるのですが、別に「基礎」と「応用」の2冊を興味に応じて別々に読めばいいという考えもあるはずです。そうすれば、いかにテキストといえども580ページの大著にはならないでしょう。
 実はこんなことが気になるのも、スポーツマーケティングに関して以前読んだ本からも「基礎」「応用」を盛り込んだ「この1冊読めば十分」オーラが出ている印象を受けたからでした。

 何か、「スポーツマーケティング」という領域が、マーケティング分野の中で特定テーマとは違う、独特の扱いがされているように感じます。そこにちょっと違和感があるのですよね。
考えてみると、日本のマーケティング研究の中で、「スポーツマーケティング」領域の扱い自体も独特です。例えば日本の大学でのマーケティング研究は、通常、経済・経営学部系の先生方が中心になって行われています。ところが、スポーツマーケティングの研究が行われているのはほとんど体育系大学・学部です。反対に経済・経営学部系の先生方で、スポーツマーケティングをやっている人は私の知る限りほとんどいません。そして両者の交流もあまりないようです。「スポーツマーケティング」と名乗っていても、普通のマーケティングの先生方は自分に関係ない領域だと思っているようですし、スポーツをやっている先生方は、あくまで「スポーツビジネス」の一環であり、あたかも「スポーツ独立王国」で暮らしているかのように、スポーツの世界に限定して捉えているのが実態のようです。

 訳者の方もあとがきでこんなようなことを書いています。

 「アメリカ合衆国やヨーロッパなどでは1980年代からスポート・マーケティングの研究が確立され、その分野における研究も盛んに行われており、(中略)わが国ではスポート・マーケティング自体もあまり知られておらず、研究レベルもそれほど進んでいない(後略)。」(p577)
 「欧米ではスポート・マーケティングは、マーケティングの一分野として考えられているか、マネジメント系の研究者が、その研究に携わっていることが多いが、わが国では、どうもイベントないしはスポーツの側面からのアプローチが主流であるために、スポート・マーケティングが体系的に研究されていない(後略)」(p578)


だそうです。

 しかし、スポーツマーケティングが注目されているというのは、日本のような成熟社会において、経済活動、いや人間生活の中で「スポーツ」というものの重みが増してきていることの反映に違いありません。
 訳者の見解では、アメリカ・ヨーロッパに比べて日本の状況が特殊なのかも知れませんが、「一般のマーケティング」「スポーツマーケティング」が互いに違う世界にいるのはもったいないことなのだから、日本でも互いに両者の知見を融合させて何かを語るような新しい知見や研究が欲しいところです。

 あ、そういえば実務家向きではないと書きましたが巻末のスポーツに関するアンケート調査項目は使えると思います。
 実務家の方も懲りずに是非580ページに挑戦してみてください!

☆B.G.ピッツ、D.K.ストッラー編著、首藤禎史、伊藤友章訳「スポート・マーケティングの基礎[第2版]」2006年、白桃書房

スポート・マーケティングの基礎 第2版 (HAKUTO Management)

 元気のなかった会社から思わぬヒット商品が飛び出して会社が息を吹き返すことがあります。
 どうして息を吹き返すことができたのか? もちろん会社それぞれにドラマがあると思います。しかし会社組織は人の集合体ですから、それを進めた社員の働きの結果であることは間違いありません。それは、例えば「中興の祖」と呼ばれるリーダーシップを持ったトップだったかもしれないし、目立たない少数の、あるいはたった一人の社員の頑張りだったのかも知れません。

 往々にして会社組織は保守的になるから、変革を目指す人は多くの場合周りから理解されづらいし敵も多く作る可能性があります。しかしそうした人が力を発揮できるある特定の環境に置かれたときに、何かが変わり目覚まし成果を収めるということがあるのではないかと思います。

 1980年代末から90年代にかけての、アサヒスーパードライの躍進は、ハーバードビジネススクールのケーススタディにもなっているほどの大成功ケースとして知られています。
 今回紹介する本は、その成功のプロセスを描いたインサイドストーリーです。これを読むと、このケースも会社が危機に陥ったときに、問題意識が高く有能な社員が周りと戦いながら理解のあるトップの庇護を受け、いくつかの幸運にも恵まれながら難局を切り開いていく様子が描かれています。著者がその社員であった、スーパードライ発売時のマーケティング部長だった松井康雄氏です。
 
 まず、ご存知の方も多いかと思いますが、スーパードライのストーリーを簡単になぞりたいと思います。
 80年代中頃まで、アサヒはシェアの低下が止まらず、後発のサントリーに追い抜かれるのは時間の問題とさえ言われていました。しかしこうした状況下、強い問題意識を持った松井氏を中心に密かに新たなビール開発が進められます。コンセプトはビールのヘビーユーザーを狙った継続飲用されるビール、つまり雑味のない洗練されたクリアな味のビールでした。そして新しいビール第一弾として準備されたのが当時「コクキレ(コクがあるのにキレがある)ビール」と言われた「アサヒ生ビール」。そうしたところに当時の住友銀行から派遣された樋口廣太郎氏が社長に就任。86年のことです。その年、アサヒのCI導入に合わせこのビールが発売されるとヒット商品となります。次いで87年、新ビール第二弾として投入されたのが「スーパードライ」でした。発酵度とアルコール度数を上げた「何杯飲んでも飲み飽きない、辛口ビール」という商品コンセプトで市場に導入され、たちまち市場を席巻します。翌年には他社がドライタイプのビールを相次いで発売し「ドライ戦争」と呼ばれますが、そこでも圧倒的な勝利を収めます。アサヒが進めた「生ビール」を前面に押し出す戦略に、当時不動のシェアNo1ビールだった「キリンラガービール」も「生化」を決断。しかしこれが裏目に出て、結局はシェアを落としてしまいます。こうした敵失にも助けられ、ついにはビールブランドトップの地位を獲得するに至り、それが今日まで続いているわけです。

 この本はいろんな読み方ができる本です。

 この本が書かれたのは2005年で、古くはないですが決して新しい本でもありません。私はもともと、ケーススタディとしてスーパードライの成功の要因を調べているうちにこの本に出会いました。このような、日本のマーケティング史上に残る有名ケースであるスーパードライの成功物語を理解したいと思う人にはいい本です。

 著者松井氏のマーケターとしての着眼点、行動力はすばらしいものです。随所にマーケティング業務に携わる人にとっての「お手本」が示されており、それを学ぶ、という読み方もできると思います。

 もちろん、「読み物」としても、すなわち優れた企業ノンフィクションとしても読むことができます。社員と会社組織との軋轢、周りの礼賛と嫉妬など、渦中の人間ドラマにグイグイ引き込まれます。

 しかし私の心にどうも引っかかったテーマが他にありました。

 それは冒頭に述べたような「スーパードライの成功劇」はなぜ起こり得たのか、ということでした。読んでみて私なりに、どうも次の3つの要素の掛け算の式がうまく成立したからかな、という思いに至りました。それは、

 企業の成功劇 = 「有能な人材」×「それを生かす(あるいは殺す)環境」×「運やタイミング」 

 という図式です。
 まず「有能な人材」がいることが前提です。
 そして彼(彼ら)が能力を発揮できるポジションについているなど、「環境」が整っていることが次に大事です。
 さらにこれが最も決定的な要素かも知れませんが、それらを生かす、「運やタイミング」に恵まれること。

 逆に言うとこれらが揃わねば、成功と言うのは難しいのではないか? この3つの要素が理想的な形で揃う確率はとても小さいのではないか? アサヒビール結果的に言うと、たまたまこの要素が理想的に揃った恵まれた瞬間があったのではないか? ということを思います。

 事実、松井氏がマーケティング部長の職責にあり、上記の3つの要素が揃ったと言える短い期間に、スーパードライ導入と定着など成功が相次ぎます。その後、彼の成功をにがにがしく思う人たちの圧力により、松井氏はマーケティング部長の職を外されるわけですが、それ以降新製品がことごとく失敗するなど、必ずしもアサヒにとって目覚しい成果があるとはいえない状態に逆戻りしてしまいます。もっともキリンの敵失があってスーパードライの成功は維持されますが。

 松井氏は本書の最後のほうで中国の故事を引用して、自らの状況を

  『狡兎死して走狗烹らる』(p418)
  (うさぎが狩り尽くされると、猟犬も不要になり煮て食われてしまう)

 と述べています。私はこの言葉を見て戦慄が走りました。企業組織の「業」の深さと言うかなんと言うか、いたたまれないものを感じたからです。

 会社組織の中にあって、松井氏のように、何とか行き詰まりを打破したいという志と能力を持つ社員は少なくないと思います。
 しかし「環境」「運・タイミング」の要素まで揃うことは容易ではないと思います。すると失意のうちに名もない多くの人々が歴史に名を刻むことなく去っていくということがあるのかもしれません。そして企業も復活のチャンスを得ることなく、いつの間にか業績停滞が普通になるという日が来るのかも知れません。いや仮に成功劇を演出した企業であっても、その中心になった人がその組織の中でその後どういう処遇を受けたのかはまったく分かりません。いつの間にか冷遇されているようなことがあるのかも知れません。

 昨日の新聞で今年2008年上半期の集計で、サッポロビールがサントリーにシェアで追い抜かれ4位に低下したという記事がありました。

 サッポロやサントリーの社内ではどういうドラマがあったのでしょうか? あるいはこれから生まれるのでしょうか?

 とても気になってしまいました。
 
たかがビールされどビール―アサヒスーパードライ、18年目の真実 (B&Tブックス)

 「グーグルに勝つ広告モデル」とは勇ましいタイトルです。広告ビジネスが伸び悩む今日において、唯一の「勝ち組」と言っていい「Google」を苦々しく思う人も少なくないでしょう。だからこのタイトルを見て思わず本を買ってしまった人も多いと思います。
 
 実は私もその口なのですが(笑)、ちょっと残念なことに、この本は「グーグルへの勝ち方」を述べた本ではありませんでした。今日のメディア環境変化の中で「負け組」に分類される(と言える)「マスメディア」の延命策を述べたものです。その意味では、少々「看板(タイトル)に偽りあり」なのですが、「延命策」以外のところで、意外に面白い論考がありましたので紹介したいと思います。

1.アテンション対インタレスト
 まず、とても鋭い! と思ったのが、マス広告とグーグル広告モデルの違いの指摘。 

 「テレビ、新聞、雑誌、ラジオの4マスメディアのビジネスモデルの本質は、大衆の注目の卸売りです。英語でいうアテンションを集めて卸売りしている、アテンション・エコノミー。これが20世紀型マスメディアの本質です。
 一方、近年騒がれている21世紀型メディアとしてのグーグルが依拠する経済は、インタレスト(能動的な興味・関心)です。グーグルはアテンションではなく、インタレストの卸売りをするビジネスモデルです。」(p11-12)


 この後筆者が説明しているのですが、AIDMA(AISASでも良いが)のようなアテンション→インタレストに移行する広告効果モデルを考えれば、アテンションをターゲットにするより、インタレストを直接ターゲットにしている方が、広告効果の効率性が高くなり、広告単価も高く設定できます。Googleの強みはそこにあると言うのです。さらにYahoo!にも触れていて、Yahoo!はバナー広告に依存しているからマス広告同様、20世紀のアテンション・エコノミーモデルに分類できるのだそうです。

 なるほど、広告手法をこういう視点で理解するのは斬新ですね。もちろん、異論のある人もいるかと思いますが、なぜマス広告が限界を迎え(→人が使える時間量が変わらないのに、世の中の情報量が膨大になりすぎ、アテンションの獲得効率が低下してきたから、が答え)、グーグルが儲かっているのかを大まかに考える上で、こうした単純化した分類は役に立つと思いました。

2.コンテンツビジネスは、未来に行けば行くほど厳しい戦いを強いられる

 これも面白い視点です。コンテンツビジネスは、将来は現在よりも必ず厳しい戦いを強いられる宿命にあると言うのです。
 
 「テレビを含めたメディア/コンテンツ産業が、他の産業と異なる点の一つとして『過去のストックが競合になる』という点が挙げられます。(中略)ストックは時間の経過にともない、いずれ無限大まで増加します。(中略)加えて、名作とか傑作は一定の出現率に基づき生まれてきますから、時間がたてばたつほど過去のストック価値が増大していきます。つまり、常に『現代のコンテンツ』が歴史上どの時点と比較しても、より厳しい戦いを強いられるということになります。」(p16-17)

 そしてこの傾向は、近頃のインターネットによる、モノ(コンテンツ)と情報(コンテンツのメタデータ)が分離することにより、探索コストが劇的に低下し、欲しいコンテンツがいつでも入手可能になることによって、加速されているというのです。確かに、アニメや漫画産業の近頃の勢いの衰えも、こうしたことと関係があるのかもしれません。
 これはコンテンツビジネスに携わる人にとってはかなり暗い話だと思いますが。

 というような鮮やかな分析が冒頭の方にあり、すごく期待が高まったのですが、最初に述べた通り、本書の大半はマスメディアの延命策が延々と述べられている内容でした。そのテーマに関心のある人なら参考になったのかもしれませんが、私はその内容自体についても、新鮮味が薄かったり、実現可能性という点で?の話が少なくなく感じたので、あまり興味を持てませんでした。

(*)上記で「延命策」と書いたのですが適切ではありませんね。別にマスメディアは「絶命」するようなものではありませんから。ビジネスを取り巻く環境が変わってきて、収益効率が悪くなってきているというのが問題点であり、著者はそれへの対応策を書いているというのが正しい説明です。「延命策」ではなくて、「生き残り策」ですかね?(同じか...)

グーグルに勝つ広告モデル (光文社新書 349)



 話は変わりますが、今年もカンヌ国際広告祭が終わりました。ご存知のように日本からはユニクロの「UNIQLOCK」がサイバーとチタニウムでグランプリを取りました。関係者に敬意を表しまして、私のブログにも貼り付けさせてもらいました(笑)。カンヌでは今回のユニクロだけでなく、ここ数年インターネットを活用した新しい広告キャンペーンの領域で、日本の作品がコンスタントに賞を取っています。この領域での、日本の企画力の高さを改めて感じ、なかなか日本も捨てたものではないなと思いました。


 
 一方で、フィルム部門のグランプリは2つあるそうで、そのうちの一つがこのゴリラのCM。イギリスキャドベリーのチョコレートの広告なのですが、正直私は何が“よい”のか分かりません。音楽を入れ替えたリミックスバージョンが多数消費者によって作られているようで(つまりUGC=勝手広告?)、そこも含めての表彰なのでしょうか?
 どなたか分かる方がいたら教えてください!



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